THE OBLIQUE CITYー身体と建築との間の関係を問うこの問いから、現代建築が自らを斜線としてのあり方として自己規定するに至った思考の歴史を考えることになりそうです

THE OBLIQUE CITY

建築家だから必ず図面を引くかというとしそう単純なことではないようです。例えばカントは建築家として通用する知識をもっていたということがポストモダン建築家から指摘されていました。難しいですが、人間学の哲学者は哲学の建築を書いたということでしょうか。身体と建築との間に如何なる関係が立つのか?これは文学者もひきつけてきた興味深い問題です。明治と大正初期の建築を描いた、夏目漱石は如何なる文体に拠ったのか?読み直してみたいと思いますね。建築への大きな関心は、「ユリシーズ」のジョイスにおいて明らかです。本を少し読めば、図書館、病院などの公共施設がそれぞれ、'知識人の議論の場'、'文体の創造'との関係を意識して描いたことに気がつきます。(レッセフェール的にアイルランド人を搾取してきたといっても英国植民地化のもとでこれだけの充実した公共施設が存在したのだから、英国から離れて独立したあとは公共施設が保たれていることは無論、独立前よりももっと充実していなければ本当ではない、祖国のプライドのことばかりをいうアイルランド独立政府のナショナリズムに騙されるなよと警告するためにあえて建築のことを政治的主張をもって描いたとも指摘されます。) 身体と建築との間の関係を問うこの問いから、現代建築が自らを斜線としてのあり方として自己規定するに至った思考の歴史を考えることになりそうです。あの現代建築家ヴィリリオは実際的な図面をひいたことがないとのことですが、下のスケッチは、かれが自らのコンセプトを書いた文のなかで参照されていました (本人の描いたものかはわかりません)。文を読んでいませんが、舞台美術のようなこのスケッチをみるだけで、人間とはなにかとウロウロウヨウヨと自身のあり方を自らに問いている人間の散歩の運動が呈示されていることがわかります。この設計図の設計図のようなものから、根づくことと根づかないこととの関係が可視化されて見事に概念化されているのではないでしょうか