ダンスの意味とはなにか?映画が照明で光を書く芸術だとしたら、ダンスとは身体で距離を書く芸術といえるのではないか。そんなことをピーナ・バウシュの演出をみておもうのであった

恵比寿時代は六本木の映画館では彼女の映画を観ていましたが、ピーナ・バウシュPina Bauschの『カフェ・ミュラー』をロンドンの舞台で実際にみたとき、ダンサーというのは、空間の距離を占拠している椅子たちを蹴散らすエイリアンのようだときがつきました。外部から来たエイリアンのリズムをもっているのですね。大地を利用するがそれはそこに根づくというよりはそこからふたたび宇宙へ脱出するためであろうかと。ダンスの意味とはなにか?映画が照明で光を書く芸術だとしたら、ダンスとは身体で距離を書く芸術といえるのではないでしょうか。そんなことをピーナ・バウシュの演出をみておもうのでありますが、彼女のバレーでは一人一人のダンサーに自分自身について語らせるというのも大きな特徴です。ダンサーたちが自らの人生の意味を精神分析的に語るときそれが可能となるのは、ほかでもない、答えをもとめてくる椅子たちから取りかえした、外部に通じるたくさんの隙間の穴だらけの空間においてではなかったでしょうか。問いと答えの間の距離を保ち続けてくれるそんな祝福された空間。ひとりひとりが外部から受けっとった言葉たちと交換に、その外部の領域にバラたちを与えていくのです。