PANOPTICON

 

現在ダブリンに植民地時代のパノプティコンが博物館として残されていています。ここで、この雰囲気を利用して、シャークスピア「テンペスト」が上演されたそうです。初期のタイプのこのパノプティコンは、罪を犯したら(買ったら)罰で償う(罪の価格通りに支払う)みたいに経済学の原理に沿って効率的に設計されていることがいわれますけど、実際はあまり重い罪を犯していなくとも、地代を払えなかったとか立ち退きを拒んだとかで服役している囚人達が冬の間に凍え死んでしまうことがあったとききました。監視するまえに、バタバタと人間が死んでしまうが、権力にとってそれはかまわない。ぶるぶると寒さに震える囚人たちは、帝国の<善>を象徴する、天井の窓から差し込む暖かい光に救いをもとめたといいます。植民都市に、互いに矛盾する計画とレッセフェールとの両方が持ち込まれました。実際にダブリンには充実した病院、郵便局、図書館が建てられました。フーコは計画フェチの監視体制の社会化の問題のことを分析するのですけれど、私が目撃したのは、一応それなりに理性の?計画には沿ってはいるのですけれど、自由放任主義の残酷に委ねてしまうような、生存するための最低限度の限度に無関心な、顕著な同化主義政策の形でした。なにか現在のコロニアル建築の衣装を着た国会が行く目標と同じだなあと。ご指摘なさっている方がおられたのですが、国会と、フーコの本で有名になりましたパノプティコンとの類似性にははっきりと気がつきませんでした。国会前に行って抗議するときは、主権者という名の囚人の立場からの要求と思ってはいました。囚人を舐めるな!と

PANOPTICON by takashihonda

 

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