ダブリン女性の言葉

この写真を見たときに私に語ったダブリン女性の言葉を忘れることはないだろう。「現在ここに女性たちが囚人になっている」という言葉の意味を知るためには、独立後の新国家のナショナリズムのもとで女性たちが抑圧されることになった事情を知る必要がある。ナショナリズムといっても、自らの権威のために都合よく、独立運動の処刑された伝説的な政治家達を神話的に称えるのであって、共和主義者の抵抗を止めない活動家達が独立後に、この帝国の象徴であった監獄でふたたび監禁される悲劇があったのである。私事ながら思い返せば、80年代日本ポストモダニズム構造主義の東京から脱出して、90 年代後半にダブリンでフェミニズムと対抗的精神分析とポストコロニアリズムを一から学んだという感じだった。ただここでポストコロ二アリズムといっても、アメリカのアカデミズムが持ち込んできた学問の形成と国策的な文化多元主義に対する一定の警戒感があったように思えた。文化多元主義は近代の言説の一部でありながら、ヨーロッパ中心主義の近代を相対化する位置と機能をもっている。だが、その方向は必ずしも、七〇年代から現れた自発的な市民運動の自立をもとめる方向ー2003年反イラク戦争十万人デモに至るーに一致するものと考えていいのか正直私は答えをもっていない。この事態をフーコー的な語り口でいうと、光の領域から独立の理念的神話を物語るエスタブリッシュメントに、いかに市民の経験知が宿る闇の領域(ナショナリズムから排除されたもの)を侵入させるかということが問題となってきたのである。(おそらくはここで話をまとめたほうがまとまるのであろうが、2015年現在に繋がる話を書き記すことを許していただきたい。それはいま言及した文化多元主義の言説に関わる話である。私が目撃した文化多元主義は寧ろ、新植民地主義の復活を克服しようとする、イギリスのリベラルなジャーナリズムの言説なのであった。「なのであった」と過去形で書いたのは、イラク戦争とロンドン同時爆破事件を契機に、監視され排除の差別を受けているアラブ系イギリス人が文化多元主義よりも人権の大切な意義を訴え始めたからである。労働党ロンドン元市長が称えるたように、たしかに平和の時は最大の収穫を得たマルチカルチュアリズムは戦時において最悪のダメージを受けるのであった。やや図式的に言うと、文化多元主義は政治多元主義とともにそのベクトルが同じ方向を向いていたときに開かれた可能性があったが(政治的言説を活性化する効果)、イラク戦争以降、もっぱら政治多元主義多様性こそがマイノリティーにとって最重要の課題となるだろう。この言説上の変動は大きい。イラク戦争以降ヨーロッパでは文化多元主義は政治多元主義の条件としてあるというようなことが単純にもう言われなくなった。というのに、東京に戻ってくると、東アジアでそれを公式的にいう(欧米帰りの)知識人たちの中国問題を語る教説的言説に触れて、なんとも納得し難い違和感を今日まで持ったものだ。最後に私の疑問とはこの点に尽きる。グローバル資本主義の時代には、文化多元主義はかえって政治多元主義を政治性を剥がしてしまうことにはならないのだろうか。間違いを恐れずにいうと、安部自民党歴史修正主義も、単一主義を物語るにすぎない似非だとしても、かれにとっては文化多元主義に整理される言説だとされることは滑稽であるけれども、なににしてもそれは政治多元主義多様性を粉砕しようとする、ほかならない、全体主義ではないか。しかし明日国会前で「全体主義」の危険性を叫ぶと絶対的に孤立してしまうという深刻な問題に直面している。だからこそ、政治多元主義をいかに語っていくか、そういうことの重要性を考えなくてはもうやっていけなくなったことを、国会 =パノプティコンに向かって叫ぶことが必要不可欠となってきたことも、闇の領域から理念性に浸透しようとす経験知によるものであろうか)

68年以降に書かれたというだけの理由で'後期フーコ'という一方的ないいかたで、十分な説明もなく、「監獄の誕生」(1977)しか始めるしかないとばかり、「言葉と物」(1966)にはもう語るべき重要な意義が残っていないかのように語られるけれど、「言葉と物」がいかに「監獄の誕生」に繋がっているのかを読むとき、前期とか後期とかの区分けにはそれほど根拠があるわけではないと疑ってしまう。「言葉と物」ではなんといっても、人間ー知にとっての客体であるとともに認識する主体でもあるーの歴史的なデビューが告げられていたのだ。フーコは言う。

博物学が生物学となり、富の分析が経済学となり、なかんずく言語(ランガージュ)についての反省が文献学となり、存在と表象がそこに共通の場を見いだしたあの古典主義時代の<言説(デイスクール)>が消えたとき、こうした考古学的変動の深部における運動のなかで、人間は、知にとっての客体であるとともに認識する主体でもある、その両義的立場をもってあらわれる。従順なる至上のもの、みられる鑑賞者としての人間がは、「侍女たち」があらかじめ指定したとはいえ、ながいことそこから人間の実際の現前が排除されていた、あの<王>の場所にそこに見せるのだ」(「言葉と物」;渡辺訳) Lorsque l'histoire naturelle deviant biologie, lorsque l'analyse des richesses deviant économie, lorsque surtout reflexion sur language se fait philology et que s'efface ce discours classique, où l'être et la representation trouvaient leur lieu commun, alors, dans le movement profound d'une telle mutation archéologieque, l'homme apparît avec sa position ambiguë d'objet pour un savoir et de sujet qui connaît; souverain soumis, spectateur regardé, il surgit là, en cette place du Roi, que lui assignaient par avance les Ménines, mais d'où pendant longtemps sa présence réelle fut exclue. Comme si, en cet espace vacant vers lequel était tourné tout le tableau de Vélasquez, mais qu'il ne réflétait pourtant que par le hazard d'un miroir et comme par effraction, toutes les figures don't on soupçonnait l'alternance, l'exclusion réciproque, l'entrelance et le papillotement (le modèle, le peintre, le roi, le spectateur) cessaient tout à coup leur imperceptible dance, se figeaint en une figure pleine, et exigeaient que fût enfin rapport à un regard de chair tout l'espace de la representation.

しかしその人間は、近代において、たんに情報としての客体であり、決してコミュニケーションの主体とはなりえないのである。「監獄の誕生」はいう。

「個人の美わしき全体性 totalité (ヘーゲル哲学やサルトル哲学での用語) は、現代社会の社会秩序が切断手術を加えたり抑圧したり変質させたりはしていないが、その社会秩序において個人は、力と身体にかんする一つの戦術にもとづき注意深く造りあげられている。われわれがそう思うよりもはるかに、われわれはギリシャ的ではない。われわれの居場所は、円形劇場の階段座席でも舞台の上でもなく、一望監視方式の仕掛けのなかであり、しかもわれわれがその歯車の一つであるがゆえに、われわれ自身が導く仕掛けの権力効果によって、われわれは攻囲むされたままである」(フーコ、田村訳) la belle totalité de l'individu n'est pas amputée, reprimée, altérée par notre ordre social, mais l'individu y est soigneusement fabriqué, selonune tacique des forces et des corps. Nous sommes bien moins grecs que nous ne le croyons. Nous ne sommes ni sur les gradins ni sur la scène, mais dans la machine panoptique, investis par ses effets de pouvoir que nous reconduisons nous-mêmes puisque nous en sommes un rouage.(Foucault)

 

参考

ベンサムが立てた原理は、その権利は可視的でしかも確証されえないものでなければならない、というのであった。可視的とは、被拘禁者が自分がそこから見張られる中央部の塔の(監視者)大きい人影をたえず目にする、との意である。確証されえないとは、被拘禁者は自分が現実に凝視されているかどうかをけっして知ってはならないが、しかし、自分がつねに凝視される見込みであることを確実に承知しているべきだ、との意である。ベンサムは、監視者が塔にいるかどうかを人には確定しがたくするために、また囚人たちには独房から一つの人影を認めることも一つの逆光を補足することもできなくさえするために、あらかじめ次の措置をとった。中央部の監視室の窓によろい戸をつけるだけでなく(・・・)、<一望監視装置>は、見る=見られるという一対の事態を切り離す機器仕掛けであって、その円周状の建物の内部では人は完全に見られるが、けっして見るわけにはいかず、中央部の塔のなかからは人はいっさいを見るが、けっして見られはしないのである。これは重要な装置だ、なぜならそれは権力を自動的なものにし、権力を没個人化するか...らである。その権力の本源は、或る人格のなかには存せず、身体・表面・光・視線などの慎重な配置のなかに・・・(フーコ「監獄の誕生」)

Pour cela Bentham a posé le principe que le pouvoir devait être visible et invérifiable. Visible; sans cesse le détenu aura devant les yeux la haute silhoutte de la tour centrale d'où il est épié. Invérifiable; le détenu ne doit jamais savoir s'il est actuallement regardé; mais il doit être sûr qu'il peut toujours l'être. Bentham, pour rendre indécidable la présence ou l'absence du
surveillant, pour que les prisoniers, de leur cellule, ne puissent pas même apercevoir une ombre ou saisir un contre-jour, a prévu, non seulement des persiennes aux fenêtres de la salle centrale de surveillance,....
Le panoptique est une machine à dissocier le couple voir-être vu; dans l'anneau périphérique, on est totalement vu, sans jamais voir ; dans la tour centrale, on voit tout, sans être jamais vu. Despositif important, car il automatise et désindividualise le pouvoir. Celui-ci a son principe moins dans une personne que certaine distribution concertée des corps, des surfaces, des lumiéres, des regards
(Foucault)

 

 追補

現在ダブリンに植民地時代のパノプティコンが博物館として残されていています。ここで、この雰囲気を利用して、シャークスピア「テンペスト」が上演されたこともあったそうです。初期タイプのこのパノプティコンは、罪を犯したら(買ったら)罰で償う(罪の価格通りに支払う)みたいに、経済学の原理に沿って効率的に設計されているようなことがいわれますけど、実際はあまり重い罪を犯していなくとも、地代を払えなかったとか立ち退きを拒んだとかで服役している囚人達が冬の間に凍え死んでしまうことがあったとききました。監視するまえに、バタバタと人間が死んでしまうが、権力にとってそれはかまわない。ぶるぶると寒さに震える囚人たちは、帝国の<善>を象徴する、天井の窓から差し込む暖かい光に救いをもとめたといいます。植民都市に、互いに矛盾する計画とレッセフェールとの両方が持ち込まれました。実際にダブリンには充実した病院、郵便局、図書館が建てられました。フーコは計画フェチの監視体制の社会化の問題のことを分析するのですけれど、私が目撃したのは、一応それなりに理性の?計画には沿ってはいるのですけれど、自由放任主義の残酷に委ねてしまうような、生存するための最低限度の限度に無関心な、顕著な同化主義政策の形でした。なにか現在のコロニアル建築の衣装を着た国会が行く目標と同じだなあと。ご指摘なさっている方がおられたのですが、国会と、フーコの本で有名になりましたパノプティコンとの類似性にははっきりと気がつきませんでした。国会前に行って抗議するときは、主権者という名の囚人の立場からの要求と思ってはいました。囚人を舐めるな!と