「たまには、『なまけ者』になるのも生きていくには必要」 ー 戦争体験をもつ人の言葉の意味はなにか?

「たまには、『なまけ者』になるのも生きていくには必要」

戦争体験をもつ人の言葉の意味は何か?権力妖怪から自立した『なまけ者』になろうということではなかったか。テロと戦いの勝ち負けにあまり思い詰めずに...、あまり思い詰めると、「ゲゲゲの鬼太郎」に喜劇的に描かれていたようなパターンに陥って、敵味方の勝負に思い詰めた自らが欲界の権力妖怪如きものに変貌してしまう悲劇だって起こるのだから。もっと話し合いと外交による解決に託すことの可能なスペースがまだまだある。だけれど、<空爆先ありき>の言説に翻弄されるような世論ではね。もうこれ以上テロ組織の犠牲者を出したくないと言う説得はもっともらしい。しかしその場合、空爆する側の国の事情で、空爆によってやはり犠牲者を出すことになることをわすれてはならないとおもう。これはコソボ空爆からイラク空爆まで学んできたことではないか。どうしても介入は必要とされるとしても、テロの原因は経済的不平等だと考えてみよう。またテロが激しくなったからこれをやめさせるために空爆せよといわれるが、そもそも米国の空爆でそのテロが激しくなったのではなかったかと疑うところから、現在の危機の解決のためには本当に何が必要とされるのかを考えることができる。ここから、現実に、現在の苦痛に満ちた危機をより緩和していく解決が少しづつでも確実にはじまるのではないか