フェルメールの耳飾りの少女

VERMEER

映画の主人公にもなった描かれているこの少女は、家政婦として雇われていたがフェルメールの助手になるらしい。ところで当時のアムステルダムには、セファルディムSephardim ーディアスポラの人々でスペイン・ポルトガルから来た商人の比較的裕福なユダヤ人達ーと、アシュケナジムAshkenazimーイベリア半島から出たがイタリア経由で東ヨーロッパから来た貧しいユダヤ人たちー が集まった。信仰の自由についていわれるが、当時オランダの人々がユダヤ人を抵抗なく受け入れた本当の理由は分かっていない。オランダとは何か?監督グリーナウエイの講演でいわれていたのが、オランダには限度なきアナーキーな自由があり、イギリスもそれと同じほどの自由があるがそれを抑圧してくるモラルの力も大きいのだと。再び歴史的な話に戻ると、清潔好きで知られるオランダ人らしく、ゲットーのユダヤ人に家の中を清潔にせよと要求したが、他にない。せいぜい法律でキリスト教徒をユダヤ教に勧誘するなと要求した程度だったようだ。根本的には世俗的なオランダ人はユダヤ人に無関心だったとスピノザ伝記作家が指摘する。他者と無関係であることは他者との共存の条件になることは現代のジョン・ケージの指摘する所であるが、だが当時はそれほどのことでもなく、やはりただ近代のオランダ人は他者に無関心なだけだったのかもしれない。だがこの偶然が歴史を決定的に動かした。生活の現場では、モデルとなっている下層の旧教徒の人々の中からユダヤ人と結婚する者が沢山いた。フェルメールの絵の至る所に、(力を喪失した) ハプスブルク帝国の復活を仄めかす徴を読み取れるというから、この少女の絵にも、例えば耳飾りの煌めく反射に、世界の全体的な回復の記号を読み取れるのかね?もはやダ・ビンチの女性のようには人間は宇宙の中心に属していない。絵画は、暗闇の空白から、(退場する)王の場所から人間が現れてくる時代の間隙を証言しているのかもしれない