’ユダヤ的偶像禁止‘派ランズマンと’カトリック的偶像’派ゴダールの間の論争

‪偶像というのは、映像への依存だけでなく、過剰な観念への依存を意味するらしい。反論するためにヴォルテールを読むが、ロンドンのユダヤ人に随分やっつけられたね。ナチスは映像フェチであった。彼らは何でもかんでも撮ったが、現在ガス室の中の記録映像が出てこない以上は収容所は存在しなかったとまで主張している歴史修正主義に対して共に闘ったが、’ユダヤ的偶像禁止‘派ランズマンと’カトリック的偶像’派ゴダールの間の論争がある。ランズマンは証言によって収容所の存在を示した。他方でゴダール『映画史』においてはたとえば重ね合わされるレンブラントの顔と映画の中の弦楽四重奏の囚人の姿に再構成された収容所を示せるという。そしてこれに、救済を意味する水の映像を編集することによって過去に介入できるとまでゴダールは考えたが、ランズマンに退けられた。もはや映画ではないかもしれないゴダールにおける神学的な救済の意義が現在まで多くの評論家たちによって理解されているとはいえない。‬顔は外の思考をもった多孔性の配置である。


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