文化多元主義について批判的にかんがえる

文化多元主義とはなにか?文化多元主義とは多文化性ー社会における異文化の共存をいう。文化多元主義は過去の植民地主義を克服しようとする、したがって、社会の根底にどんな本質も措定しない差異化の戦略である。この文化多元主義は元々は、68年に起きた同質的権威主義に対する抗議の運動を通じて、また新植民地主義の復活に対する危機感のなかで自覚されたと一応言っていいと思う。文化多元主義は後に体制内化したマルチカルチュアリズム multi-cultural-ismとして国家の側から国策的に展開されることになった。▼ここで問題提起。しかし政治多元主義を欠いた多文化性ならば、それは帝国主義的社会統合の方法としてすでに戦前に存在したのではなかったか。大正が昭和を準備した。例えば、和辻哲郎の国民が作者となる文化的復古主義の言説のあとに、大川周明の「日本精神」、西田幾多郎の「無の場所」は、宗教的・哲学的に帝国主義同化政策の包摂を原理的に形式化することが可能となったのではなかったか。▼探求されるべき問題は、アジアから考えた政治多元主義がいかに、政治多元主義を欠いた文化多元主義(その究極として西欧近代を超克した天皇ファシズム)に縮小していくことになったのかという問いにある。その道筋は決して単純ではないだろう、その答えを'前近代性'に見出した戦後民主主義丸山真男が明快に呈示したようには...。やはりこの丸山と同じくらい近代の超克はこの事実を知っていたはずである。S(複数性)こそ共同体にとって大切な意義をもっている。だがSSには気をつけようと。だがそれにもかかわらずSSに絡みとられないためにSを求めたのにSSの全体主義にどうしようもなく包摂されていくことになった。▼フロイドはなぜ亡命しなければならなかったのかを問うだけでは十分ではない。日本の文脈においてそれをどう考えていくのか?だれも答えていないように思われる。だから自分の課題としてある。