西田幾多郎を読む

小林秀雄西田幾多郎を痛烈に批判したといわれる。なぜか?「西田の孤独が日本語では書かれておらず勿論外国語でも書かれていないという奇怪なシステムを創りげていった」と指摘したのだった。▼これはなにか、小林がテクストの内側に絡みとられていかない為のギリギリの批評だったかもしれない。▼だが、「これは確かに本当の思想家の魂を持っていた人が演じた悲劇だったように僕には思える」という小林の言葉から再び内部の読みをはじめたのは、柄谷行人だ。▼西田はライプニッツの西田という形で再び内部的に読まれていく。最近は柄谷の読みのもとで西田は「帝国」論の先駆的思想家とされそうだ。▼それにたいして「大正を読む」の子安宣邦氏は西田のテクストは外部的に読まれるべきだという。▼デビューした「善の研究」の出版は大逆事件(1910) の翌年に出版されたことに私は注目する。海外で代表作の一つとされる西田「場所」は、津田左右吉「神代史の研究」(1924)の2年後に、また関東大震災後に起きた大杉栄が殺戮された1923年の3年後に、和辻哲郎「日本精神史研究」と同年に出版されたのであった。これは何を意味するのか?そして大正の西田哲学はどこへ行くことになったのか?▼昭和に論じられた皇室「絶対無」論 (1938年「日本文化の問題」)のなかで「皇室はどこまでも無の有であり、矛盾的自己同一であった」という。▼ここでは西田の思想はそれほど外からの影響を受けないものだったのか?西田は、皇室(天皇)の歴史の神話化を否定した津田左右吉と、脱神話化を再び神話化した和辻哲郎の<間>にかれの場所をとらざるを得なかったようにみえる。▼西田の思想をモナドの思想としてとらえることになる柄谷は、「窓」なきモナドの問題も指摘してきたことは正しかった。だがしかし柄谷は再び西田を「窓」なき純粋な思想家として内部的に語りだしてしまうのである。

西田幾多郎の最後の著作は「場所的論理と宗教的世界観」(1945)でしたが、とにかくNothingness and the religious Worldviewときっちり英訳されるのですね。晩年の本は難しく分からないのですが、デビュー作の「善の研究」ならばクリアーに理解できるかといえば、さにあらず(汗)。▼渡辺一民氏は京都学派の生命の哲学に警戒していたが、「善の研究」の西田幾多郎ならば擁護したいと言っていました。その理由を知ることができなくなってしまったが、ラベル張りが嫌いな先生でした。▼私の理解では、the ontological independence of substance(実体の存在論的独立性?)とスピノザでいわれる世界に西田は関心があったことは確かだと思うのだけれど、「神」とか「精神」といったものを実体化してそこから世界を説明からアプローチするのが嫌だったし(そりゃそうだ、なにかラベル張りみたいだ)、またマルクス主義者のように物質からすべてを語ることも嫌ったのですね(わかる、わかる。やはり同様にラベル張りの危険があるね)。簡単にはいかない...。▼主客合一といわれるように、精神面の領域と物体面の領域との重なり合いに純粋経験があると説明されます。私の解釈で恐縮ですが、前者が<盲目の言葉>の領域、後者が<沈黙する領域>だとすると、両者の同時に重なり合う領域に実践理性批判的なスクリーンが存在するのです。カントが言う意味で純粋理性が回避できない誤謬(特異点)をなんとか回避するために、経験知としてのこのスクリーンが必要です。映画スクリーンのように2次元でもいいし微分多様体の表面のように多次元でもかまわない。そこで信の構造の親鸞がみえたり理念の構造のカントがみえたりと。やっぱりcloudと言われるのは仕方がないか、すいませんでした(笑)

 

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