柄谷行人「倫理21」(2003)を読む

柄谷行人「倫理21」(2003)を読む

柄谷行人天皇の戦争責任について語っている。昭和天皇は引退すべきだったと言いたようだ。柄谷は敗戦直後の状況を振り返る。

「戦後の最初の首相は皇族東久邇稔彦ですが、彼は首相としての最初のラジオ放送で、「一億総懺悔」を説きました。それは、戦争の責任を、一部の指導者のせいにするのではなく、全国民が平等に負い、反省しようと言うものです。これはもっともらしく聞こえますが、最高指導者の責任が全く問われないところで、「国民」の責任が問われうるでしょうか。戦後の東京裁判において、戦争犯罪の責任を問われた軍人、政治家の多くは、上官の命令に従っただけだと弁明しました。それをさかのぼっていくと、すべての命令が天皇の名のもとになされていることは明らかです。が、その天皇が免責されているとしたら、どういうことになるでしょうか。結局、誰も責任をとる者はいないのです。誰も彼もが被害者になってしまいます。」

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「残念ながらわが国にはヒットラーがいなかった」と丸山真男がいうように本当にそれほど日本の戦争は誰が始めたのかわからないのか?講座派言説(前近代的な日本近代)を包摂した丸山真男の「日本の思想」(前近代の主体を欠いた思考様式)からは、自由な意識主体を前提とした独裁のような、「残念ながらわが国にはヒトラーがいなかった」ときめつけられる。だが日本の全体主義と戦争を誰が始めたかを明らかにしないから、現在安倍首相のような歴史修正主義者達が戦前からやってくることに...。丸山真男は日本ファシズムの問題を超国家主義的国家観と政治的思惟様式論、その国家観に包括されるものの心理構造論に解消して、昭和ファシズムそのものを見えなくさせてしまった。そう語る子安宣邦氏によると、「あえていえば丸山は昭和ファシズムを隠蔽してしまった」という。この点にかんして、柄谷行人も丸山の心情的にアプローチした問題点を指摘している。柄谷はこういう。

「政治学者の丸山真男は、それを「無責任の体系」と呼び、その原因をい解明しようとしました。しかし「無責任の体系」は、日本人の伝統的なメンタリティーによるのではなく、また、社会的政治的構造によるのではなく、この時期、天皇が責任を免れたことにこそあるのです。それはむしろ戦後にはじまり、現在に至るまで続いています。」
「もちろん、私が天皇の戦争責任という問題をとりげるのは、天皇にすべての罪を転嫁するためではありません。たとえば、戦後まもなく、共産党員の作家、中野重治は、天皇に全部の責任を帰してしまう人たち(左翼も右翼も)を批判していました。しかし、それは、天皇制が日本の絶対主義国家にほかならない見方(神山茂夫の理論)にもとづいています。つまり、天皇個人ではなく、その構造が問題なのであり、それを廃絶することによって、天皇個人を人間的に開放してやるべきだ、というようなものです。くりかえしていいますが、構造論的な認識をするとき、個人の責任は括弧に入れられなければならない。丸山真男の「超国家主義の論理と心情」、あるいはその後の様々な「天皇制」の議論についても、同様のことがいえます。しかし、「責任」を問う場合、この括弧を外さなければならないのです。」

日本のファシズムを遂行した者がいたのである。実は天皇機関説を反故にした東京帝国大学憲法学者たち、国体体制を推進した官僚たちの戦争責任が問われることがなかったのである。ところが丸山真男は見逃してしまった。丸山だけではない。丸山を読んだ戦後の知識人たちも見逃した。丸山を読んでかれの分析にしたがって考えた大学時代に、ほかならない、この私も見逃したということだ。そして柄谷が柄谷にとっては意外なことは、GHQも見逃したのである。柄谷は「構造」についてなにを言おうと結局は、昭和ファシズムそのものを見えなくさせてしまった丸山真男の「括弧」と変らないと言わざるを得ない。

「第二次大戦後、日本やドイツだけが戦争責任を問われたようにみえます。しかし、ともかくにも、戦争責任が法廷において裁かれたことは、それ自体画期的なことです。それが戦勝国によるものであろうと、その後戦勝国をも規制するものになるからです。それは、カント的に言えば、統整的理念が働くということです。だから、日本人が世界史に一つの位置を占めることができるとしたら、それはあくまで日本の戦争責任を明確にすること、それを普遍化することによってであるといことができます。」

昭和ファシズムの推進者たちを裁くことに失敗した法廷は、残念ながらそれほど「画期的」ではなかった。だがここで柄谷行人が言っていることを活かすならば、「世界史」があるとすれば、慰安婦問題を日本人の人類に対する犯罪として構成することである。ここから、日本の戦争責任を明確にする普遍性を得ることができるのではないか。そういう普遍性は戦後ドイツがおこなっていたのだから不可能ではないとおもわれる。