啓蒙主義はひとつではない。啓蒙主義は多様なのだ。

啓蒙主義はひとつではない。啓蒙主義は多様なのだ。啓蒙主義というと、フランスとかドイツの特権とおもわれているが、スコットランド啓蒙主義というものがある。思想的自立をもつスコットランドはイギリスの文明に対抗できるのだ。ここの歴史がわからないと、最近のスコットランドの独立を粘り強く望む背景を理解できないとおもう。▼スコットランドのヒュームはものすごくラディカルで驚く。ラディカル過ぎて、啓蒙主義の正反対のロマン主義の入り口にギリギリ立たされているという印象をもつ。ちなみに、評論家時代のゴダールはこのヒュームを高く評価していて、六十年代後半はロマン主義とも評される、ゴダールのラディカリズムはここから始まっていたようにもおもわれる。 <Soyez philosophe mais soyez toujours un homme>とヒュームにおいていわれるように、かれの背後にルソーの姿がチラチラみえるのだ。▼ただヒュームは、日本でカントが広く保守的に容受されているような感じで、イギリスにあって中流的に良識化していたので、メインストリームに背を向けていたアイルランドから来た私としてはかえって反発してしまった。▼思い返すと、大学時代のときはヒュームはカントを正当化するための思想家でしかなかった。理性を疑う哲学であれ!人間であれ!というヒュームのラジカルさが、それでも理性がなければ人間はやっていけなくなる <Qu'est-ce que peut la raison?>というカントの啓蒙主義に常に回収される感じで。だから、ロンドンで展開される、ヒュームを論じてもカントに言及しないような言説にある新鮮さをおぼえたりした。▼たとえば、たしかイーグルトンの本だったとおもうが、ポストモダン的な考え方を紹介するときに、ヒュームとベケットを結びつけるアプローチに大変興味をもった。