原理主義という名の純粋理性

ネコ経済相「放浪者ですが、天下の智恵者を連れて参りました。マイナス金利にどんな可能性があると国民に説明したらよいかニャ?さあご助言を」

フクロウ博士「 アベノミックス....」

ネコ経済相「うんうん、にゃんにゃりと総理にいいたまえ」

フクロウ博士「アベノミックス、消滅したすべての可能性の中心」

安倍総理「ホホー....つまみだせ」

 

原理主義という名の純粋理性

日銀が導入をきめた「マイナス金利」の金融政策にたいして、「マネタリスト市場原理主義アホダラ教信者の経済学者」という批判の声があがっていますが、そう揶揄される理由はなにかといえば、それはマネタリストが自分で作り上げた危険な偶像崇拝に陥っているようにみえるからです。しかしどんな反証の事実に耳を貸そうとしないほど自らの体系性へ依拠するかれらの態度は、非理性(狂気)にもとづくものではなく、むしろ徹底した理性にもとづいていることは明らかです。理念的に構成しようとする理性に依拠するからこそ、理性そのものが不可避的に抱え込むことになる理性の誤謬に絡みとられているということです。市場原理主義原理主義である所以は、それがなにもかも説明してしまう理念型によるからということです。この点にかんしては、そもそもマネタリストが対抗していた、ケインズ主義が原理主義の呪縛からそれほど自由であったかいう問題があったのです。1930年代の市場が想定されていたようには市場として働かなかったとき国が市場に介入した経験をなんとか説明することに成功したのがケインズでした。が、ここから純粋な理念型として構成したされてくるのがケインズ主義です。マネタリズムは、今日自分たちに浴びせられていると同じ調子の軽蔑と憎悪を以て、「ケインズ主義の政府原理主義アホンダラ信者の経済学者」の虚構の理念性、その原理主義性を批判したのでした。問題は、いかに、この原理主義の無誤謬性の悲惨を止めるかです。20世紀的グローバルの問題に直面しているなか、堕落した社会主義による、ピケティがいう民主的介入のほかに道がないわけですが、日本の問題とはそれを遂行する社会党解釈改憲自民党によって事実上消滅してしまったことです。安倍自民党の'美しい日本'という20世紀的国民国家によって解決できると委ねるのはあまりにもアナクロニズム