「近代の超克」を読む

「近代の超克」を読む
 
日本浪漫派の'浪漫派'の語が気になるが、例えば、座談会「近代の超克」を語るときに常にその不在がなにがしかの意味をもって言及される、保田与重郎が、「この数年間の文学の動きは、合理から合理を追ふてある型を出られぬ「知性」がどんな形で同一の堕落形式を繰り返すかを知る一つの標本適例であった。そんな時に於いて、己の頽廃の形式をまづ予想した文学運動があらねばならぬとすれば、日本浪漫派などはその唯一の例のものであらう。この意識過剰な文学運動は、従って、今日から云っても、旧時代の没落を飾る最後のものとして十分なデガダンスである」といっているのは、Romaticism; the idea of the work's autonomy was derived from Kant's idea of the freeom and 'disinterestedness' of aesthetic judgement and, subsequently, from the Romantic movement in the late 18th and early 19 th centuries. Some aspects of the Romantics'excessive behaviour was self-indulgent and macho, bur it was also linked to a deep sense of fate and tragedy which, like Knant's initial ideas about sublime, emphasized humanity's vulnerability and powerlessness. などと教科書的に理解していたことがわかるが、それはいいとして、日本浪漫派の'日本'でなにが意味されるのか不明である。▼高天原の神々と皇室との連続性をちゃんちゃらおかしいと否定した津田左右吉の文献学的読みからすると、戦場へラクレイス像としてのスサノオみたいなマッチョな解釈を口にする保田はいかにも不注意だが、ただし彼に限ってはそれほど皇国史観原理主義の重力を感じない。▼さて、前置きが長くなったが、「近代の超克」の論客たちは、何を議論しているのか、議論したいのかよくつかめないのだけれど、西洋を実体化し、それの対抗概念としての東洋を実体化し、再びその東洋の側から対決すべき西欧を、あたかも超克の対象として運動会的に勝ち負けを語っているとしたら、それはもう語るほどの価値がない。▼戦争がはじまったせいでヨーロッパ留学を偶然に断念せざるをえなかった文学者たちは、そこからはじめて国家と文学の問題を考えるようになっただけなのだから、正直そのことでも書けばいいのにとおもうが、あたかも必然としての「一国の文化の成熟」のようなことを書くのはうそっぽい。▼もし活かすことがあれば、日本知識人が自らの問題として、常の事として絡みとられる、理念型として構成される純粋ヨーロッパを超克するためにはどするかというかれらの問いの提出にあるかもしれない。その場合、20世紀植民地主義を反省した経験知方法として、方法としてのヨーロッパ、方法としてのアジア、が思考の対象として再構成されてくることになるだろうか。▼現在につながる言説として、方法としてのアジアをいった竹内好からなにを積極的に読み取っていくかだろうね。西欧大好きのチャンピオンが和田哲郎だったとすれば、アジア大好きのチャンピオンは竹内好であるときいたことがある