柄谷行人「日本近代文学の起源」を読む

柄谷行人日本近代文学の起源」を読む

柄谷行人の「日本近代文学の起源」をよんだとき、非常に新鮮な息吹を感じました。それまでは、中村光男とか加藤周一のような、なにか中途半端なヨーロッパ中心主義者が書いた日本近代文学しかなかったのです。吉本隆明はいましたが、かれの標的は日本近代文学の歴史ではなかったのです。だが、2012年の渡辺一民市民大学講座「フランスの誘惑」に出た時、中村光男と加藤周一といっても、ヨーロッパに入った時期のズレがヨーロッパの経験の違いを形づくったことを知りました。講義メモを読みなおしています。最後の講義を要約するとこういうことでした。森鴎外など戦前の仏留学生は皆、本人と直接関係がない外的事件(戦争)による帰国を余儀なくされた。例外なく、彼らは、幻想とはいえ日本回帰に囚われた。こうした戦前の留学生と比べると、遠藤周作加藤周一・辻邦夫の戦後仏留学生は、帰国が自由にでき、とくに50年代の留学生達は戦後の荒廃のなかで帰るべき日本という幻想が無かった。それ故に、かえって、個人の視点で生き生きと、ヨーロッパ文化と比較した独自の日本文化を築...けた、と。渡辺氏は総括しています。する。付け加えて言えば、渡辺氏によると、西洋絶賛の代表者が三木清とすれば、アジア(主義)絶賛の代表者は竹内好ということに。そうした西洋絶賛とアジア(主義)絶賛も、1964年ごろに幕を閉じるという。1920年代に誕生した「フランスの誘惑」も、(渡辺氏が帰国する)1963年で消滅するのだと説明されます。最後に、現在大学の中心を占めるオタク知識人達は、渡辺氏が帰国した1963年頃に生まれた人々で、いわゆる「フランスの誘惑」が消滅した後の人々である。と、わたしはオタク知識人について質問しました。と、渡辺氏は、軍事教練で顔が変形するかと思う程殴打を受けたこすると、学園紛争で学生に取り囲まれたこと、この屈曲した体験の数々が決して自分を頭だけで考えるオタクにさせないと答えました。渡辺氏はオタク知識人には興味はないが、現在の子供達にもっと戦争のことについて語り伝えたいと述べました。
▼その「63年頃に生まれた人々」にはいるこの私としては大変痛い話ではありましたけれども、やはりそれでも、中村光男とか加藤周一のヨーロッパ中心主義が語る中途半端感にたいする失望感が変わることはありませんでした。ハイデガー宣長と比較することの不毛さが指摘されますが、そのことはわたしは勉強中ですけど、ジョイス文学を徒然草と比較しても仕方がないとはっきりわかりますし、そこで、なんというか、西洋を実体化し、それの対抗概念としての東洋を実体化し、再びその東洋の側から対決すべき西欧を、あたかも超克の対象として運動会的に勝ち負けを相変わらず語っているという時代遅れの印象をもちます。それは語る価値がない文学史です。これにたいして、柄谷が新しかったのは、日本の作家に即して方法としての日本近代文学を語ったことにありました。これは現在まだなにかを考えさせる意見だとおもいますが、柄谷は「言葉と悲劇」で70年代後半の仕事であった「日本近代文学の起源」についてこう言ってました。「僕は「近代文学」が明治二十年代に、ある「転倒」におうて現れたことを述べたのですが、しかし明治二十年代とは、西暦でいえば、十九世紀末です。つまり日本の近代文学というのは、基本的に20世紀の文学なのです。いいかえれば、われわれは百年にも満たない近代文学の中にいるわけです。政治体制とか経済的な諸関係を別にすると、感性や生の様式といった領域において、19世紀というものは、日本にとってはほぼ江戸時代ですね。しかもそれは、近代化されるべき未発達な遅れた状態というようなものではなくて、ある意味で完全に洗練されて、これ以上には行きようがないまでに完成されてしまった形態でもあったのです。日本近代文学、あるいは近代的な意識が成立してくる土台そのものが、たんに封建社会とか、あるいは遅れた段階だとかいうものではなくて、異様までに、その先がないほどに徹底した何かをもっていた、ということが大事であると思います」。ここから、柄谷は、「風景の発見」「内面の告白」「告白という制度」「病という意味」「児童の発見」「構成力について」という問題が分析されていったのでした。柄谷以前に日本近代文学をかたっていた知識人たちは、ウィットゲンシュタインでいわれる「世界のうち」で考えていただけです。「世界のうちですべてあるようにあり、なるようになる。」とかたっていただけです。それにたいして、柄谷の場合は、日本近代文学に「もし価値があるなら、それが価値をもつなら、すべてのこうあるとそうなるの外にある。」とかんがえていたとおもいます。ただその柄谷も89年の「探求1」を最後に、90年代初頭・半ばにかけて、外の思考をやめてしまいました。
ウィットゲンシュタイン論理哲学論考」(木村洋平訳)より。
「世界の意味はその外にある。世界のうちですべてあるようにあり、なるようになる。うちにはどんな価値もない、もしあるならば価値ではなかったのだ。
もし価値があるなら、それが価値をもつなら、すべてのこうあるとそうなるの外にある。なぜなら、すべてのこうあるとそうなるは偶然であるから。
それを非偶然にするものは世界のうちにはない、あればまた偶然に落ち込むだろう。
それは世界の外にある。」