柄谷「歴史と反復」を読む

柄谷「歴史と反復」を読む
 
翻訳された柄谷行人の本が人気があり中国の学生たちの間で読まれているのだそうです。中国からの留学生・研究者が柄谷行人の「歴史と反復」を読んだと言っておられたとき、ただ、直ぐにはこの本だったことを思い出せませんでした。▼I wrote most of the esays contained in this volume in the envioronment that existed around 1989、とあります。「探求」という外に開かれた思考のピークのときに内部化が始まるのが、この1989年。思考の内部化は、建築家の国際シンポジウムに参加する1992年と94年を契機に、「帝国の構造」を書く2015年まで進んで止まりません。▼他方で、失敗していますが、好意的に解釈して、柄谷はかれなりに、山口昌男や網野義彦などの天皇制構造論の批判を持続的に展開してきたとおもわれるところがあります。▼歴史といっても、「構造」批判諭で書いた歴史のことなので、本当は「反復する構造と反復する構造」というような表題にすればよかったのだろうとおもいますが、しかし内容のことよりも、なぜこの本を書いたのかということをここで考えておく必要を感じるのは、やはり神社の憲法改定運動という国家神道復活の動きにたいする現在の心配によることなのかもしれません。▼靖国神社はそもそも祭祀国家として近代化することになった日本における政治的権威主義の中心を国体イデオロギーとともに構成してきた歴史を忘れてはならないと思いますが、思想的な問題として、天皇制構造論の言説が批判されることなく無傷のままにあります。▼柄谷の構造<中心ー周辺ー亜周辺>、天皇制構造論の根底にある二元論<中心と周縁>の発展だという批判がある一方で、第三項の側から、天皇制構造論を差異化する、あるいは内在的に批判していくという意義をもっていると評価することもできるのかもしれません。▼ただ仮に前者の場合としても、しかし天皇制構造論の言説よりも(それを批判する契機をもった)帝国の構造の言説のほうが思考の質が良いとはどうしてもおもえないのです。天皇制構造論であれ帝国の構造であれ、これらの言説は、民主主義をもとめはじめた市民の声と両立できるのかという疑問が絶えず起きますから。