清沢満之「精神主義」を読む

清沢満之精神主義」を読む

精神の平等がないところに物質の平等がないという事実をレーニンは知らぬと言い切った、大正時代のアジア主義革新思想に先行して、幕末の近世日本の政治思想のなかには、石田梅岩横井小楠佐藤信淵において主張されていたような、精神にかかわる基本的な平等性を徹底した思想家がいました。▼しかし近代化の本格的開始は、精神の優位性という枠組みでは済まず、むしろ西洋技術の背後にあって、それを支えるフランス革命に規定された社会体制を導入しなければならないという認識に転換せざるを得なかったのです。当初の明治政府の政策も、祭政一致的な王政復古を基本として、神祇官の復興、神仏判然令(廃仏毀釈)などの神道国教化政策、キリスト教の禁止の維持を行いました。明治3、4年を境に、近代化により欧米化の方向にそって統合されていきます。ここに、祭祀国家としての近代日本の成り立ちをみることができます。▼大体ですが、これが、清沢満之が1901年に雑誌「精神界」を発行するに至るまでの時代の全体像です。清沢の精神主義は、日本近代の政治思想でいわれた精神の平等性を喚起する...反時代的精神です。ここで注意したいのは、「民族」という語彙が明治の辞書になかったという事実(「民種」という語はあった)。たしかに精神の平等を社会的に現実化する努力がなかったという限界はありました。そのことをふまえた上でいうことですが、清沢の精神主義は、「自分の精神の内部に従属を求めるものである。だから外物を追い、他人に従うために煩悶憂慮することはない」と主張するとき、この精神主義を担うのは、民族であると読むことは中々できません。▼またそれを担うのは、大正時代の大川に呼び出されたような復興「日本精神」でもないですし、また和辻の実体化された、古代での全体への帰順を生きる「清明心」の如き日本的倫理でもありませんでした。清沢はこういいます。

「我々がこの世で生きていくためには、必ずひとつの完全な立脚地がなくてはならない。もしこれなしにこの世で生活し、何事かを行おうとするなら、それはちょうど浮雲の上で技芸を演じるようなもので、転覆を免れることが出来ないのは言うまでもない。おそらくは絶対無限者にたよる以外にうつべき手はあるまい。 そしてこのような立脚地を得た精神が発達してくる筋道を名づけて精神主義という。精神主義は自分の精神の内部に従属を求めるものである。だから外物を追い、他人に従うために煩悶憂慮することはない。・・・・精神主義に立つものが自分に不足を感じるとした場合、その充足は絶対無限者に求めるべきであって、その充足を相対有限の人や物に求めてはならない。」

ここで、「ひとつの完全な立脚地」で言われるものは何か?それはそのまま救いや安心を意味する言葉ではなく、むしろ人間が依拠できるような儒教的に語られた信の構造というか....。▼この点にかんして、「宗教に救いがなければ意味が無いのにどう思うか」ときかれたとき、信は救済の約束とは無関係だよと友人に答えました。どうしてお前はそんなに怒っているのかときかれました、と、この当惑気味の問いにひどく当惑してしまったが、直ぐには返事できませんでした。帰り道に一人でなぜだろうかと考えました。▼お国のために戦死したら英霊として靖国に行けるから安心せよの「安心」が救済とされた歴史があったから、自分はああ言ったんじゃないかという考えに至りました。友人を驚かせたかもしれません。もし別の歴史ならば別の考え方をしたかもしれないのですけれど、しかし私の生きる歴史からやはりこう答えるほかにないのです。▼21世紀の私の生きる歴史というのは、これを考えるとき、歴史修正主義者たちによっては転覆されないような、清沢がいった精神主義ー自分の精神の内部に従属を求めるものである。だから外物を追い、他人に従うために煩悶憂慮することはないーと深い関係があるのではないだろうかとおもいます。