岡倉天心「東洋の理想」(1903)を読む

岡倉天心「東洋の理想」(1903)を読む

近代日本は戦前が二回ありました。第二次世界大戦の戦前と日露戦争の戦前です。だから「東洋の理想」は戦前に書かれた本、もっといえば、戦前において書かれる必要のあった本だったと考えることができるかもしれません。▼「東洋の理想」の範囲を説明した文を読むと、「(岡倉天心)氏は、インドにおける芸術発展の現実に見られる類縁は多く中国的なものである指摘すると同時に、このことの理由には、一つの共通の初期アジア芸術というものが存在したということをおそらく求められるべきものであると述べ、この共通の芸術は、そのもっとも遠い周辺の波跡を、ギリシャの浜辺、アイルランドの極西部、エトルリアフェニキア、エジプト、インド、および中国に、ひとしく残っているものであるといっています。」(マーガレット・Eノーブルによる解説)とあります。▼共通の初期アジア芸術の痕跡が「アイルランドの極西部」にも。兎に角、理念型として東洋が構成されているということが大事なのですね。▼岡倉の有名な言葉「アジアは一つである」でいわれる連続性とは、なにがホンモノでなにがニセモノといったことを排他的に選別して整理することになる理念の病とは関係がないと私は読みます。異なる時代ではありますが、あえていうと、今日のアーチストが開かれた世界にむかって語る口調で、平等になんでもかんでもわれわれの精神に繋がっている世界に生きるのだとする自身を代表する言葉とそれほど違わないのだろうとおもうのです。▼「思想史研究会」で岡倉天心の後継者としてかんがえてみようとされる大川周明の意味は何かと考えています。1928年の昭和ファシズムの形としての帝国主義国家としての日本、この日本のファシズムイデオロギーに転化していくことになりましたが、しかし大川は1921年においてはまだ第一次大戦後に成立したアジアの革新思想の一つだったこともまたみておかないとフェアーではないでしょう。大正期の大川に「右翼」の接頭語は必要ないという意見があります。▼アジア的主体を介して植民地主義のヨーロッパ近代の限界を乗り越えていくことを思想の問題とした大川は、岡倉天心から読んだものは、岡倉のアジアにたいする比類なき共感ではなかったか。岡倉の本をよむとき、今日の日本の決定的な問題が見えてこないでしょうか。それは、小泉元首相から始まりましたけれど、アジア性を完全に喪失した安倍晋三首相、あるいは自民党だけしかアジアのヴィジオンーただし時代遅れの無効なーを持っていないという矛盾である、と、子安氏は「大正を読む」の最終講義で訴えました。▼「美しい日本」をいうこの歴史修正主義者が原因をつくる<外>の民族紛争の恐怖、と同時に、拡大してきた<内>の経済的格差。内外のこの二重の搾取を受けるアジアの人々はどうしたらいいのかという問いかけが、偏狭な一国的ナショナリズムによって、隠蔽されてはいないでしょうか。集団的自衛権の2016年、岡倉天心が生きていたら戦前のわれわれにむかって何を言うだろうかと不安におもいながら今日は考えていました。