バレンボイムを称える

バレンボイムを称える

鑑賞者の聴く立場からすると、マーラとワーグナーはお互いに非常に遠い感じがするのだけれど、ブルックナーを聴くと、マーラとワーグナーのこの両方が同時に聞こえてくる。と、三者の同じ平面を想像できるからほんとうに不思議。このブルックナーが色々な要素から成り立っていることを書いていたが、そのバレンボイムの演奏のおかげでバッハが響いてきたり(ワグナーとは別の)まるでイタリア・オペラのように楽器が歌うのがわかるような楽しさも。他方でワグナーをきくとワグナーにしかない固有なものがある。マーラも同じ。こういうことは絵画鑑賞にも起きる。新古典主義ロマン主義・崇高は共通点がないようにみえるが、それは純粋に理念的に構成された視点でみるから、互いに連続性がないと思いこんでしまうのであって、実際に美術館に行けばよろしい。新古典主義の部屋からロマン主義の部屋までの中間の部屋たちを通過していけば、いかに一貫性のある共通のものがあらわれたりあるいは消滅したり単独のものがいきなり現れたり再びその前の時代のものが現れたりするかがわかるというもの。芸術において対立はなく、ヴィットゲンシュタイン風にいうと、前の時代のゲームの規則と後の時代のそれとが複雑に重なり合っていることを実感するときがすごく嬉しい。

"Neoclassical tastes coincided simultaneously with the presence of the aesthetics of the Sublime, but basically we always had the feeling - on looking at things ;from a distance' - that each century possessed consistent characteristics, or at most a single fundamental inconsistency'. (Umberto Eco)