吉本隆明「固有時との対話」(1950) を読む

とつぜんあらゆるものは意味をやめる あらゆるものは病んだ空の赤い雲のやうにあきらかに自らを恥かしめて浮動する わたしはこれを寂寥と名づけて生存の断層のごとく思ってきた わたしが時間の意味を知りはじめてから幾年になるか わたしのなかに とつぜん停止するものがある
<愛するひとたちよ>
わたしこそすべてのひとびとのうちもっとも寂寥の底にあったものだ いまわたしの頭冠にあらゆる名称をつけることをやめよ

 

▼「固有時との対話」(1950)でいわれる固有時はなんというか、...
反復すること。「反復が存在するのであれば、反復は、一般的なものに反する或る特異性、個別的なものに反する普遍性、・・・あらゆる点で、反復とは、侵犯なのである。反復は、法則を疑わしいとみなし、より深く、より芸術的な現実のために、法則の名目的あるいは一般的な性格を告発するのである」(ドゥルーズ「差異と反復」1968) Si la répétition existe, elle exprime à la fois une singularité contre le géneral, une universalité contre le particulier, ... A tous égards, la répétition, c'est la transgression. Elle met en question la loi, elle en dénonce le caractère nonimal ou général, au profit d'une réalité plus profonde et plus artiste.(1968)

 
本多 敬さんの写真