「江戸思想」と「昭和思想」 といわれるとき、この「と」の意味が大事ではないかとおもいます。いかなる「と」(and)なのか?

「江戸思想」と「昭和思想」 といわれるとき、この「と」の意味が大事ではないかとおもいます。いかなる「と」(and)なのか?「もう一度読む倫理」をみると、精神の平等を言った石田梅岩の名も、そこから他者を敬うことの意味を言った中江藤樹の名も書き記されているのに、「昭和思想」が「江戸思想」をただの<前近代>としてしか位置づけないのはなぜか?「昭和思想」は自らの限界を超える<反近代>として「江戸思想」を見出すことがないのはなぜか?また、前半の「西洋の近代思想」の最後は「全体主義と大量虐殺への批判」とするほどファシズムの問題を重視しているが、後半「日本の思想」においては、天皇ファシズムの言説の土台をつくった本居宣長の仕事ー儒家神道的伝統の御師のように心の内部のあり方を説くかわりに心の神を外部化した言説を発明したーは見逃されています。宣長に対応する西洋の思想は、加藤周一が言うようにニーチェとかハイデガーに見出すのは単なる間違い。その起源を考える上で、西欧の精神が自己自身との対話を失うオリエンタリズムの言説の意味を見逃すわけにはいきません。定石通りにアーレントは19世紀近代国家のユダヤ人排除という「ドレフュス事件」から語り始めましたが、そもそも西欧というものの成り立ちのうちにイスラム世界の排除があります。後期ルネッサンスのラファイエロの「アテネの学堂」、アラブの思想家の痕跡が殆ど消されていることはサイードが指摘したことですが、ここに、ファシズムの起源があったのではないかと私は考えています。(「もう一度読む倫理」でも彼の名は無視されていますね?)。何事も順番が大切です。アーレントは「人間の条件」を書くためには、どうしても「全体主義の起源」を書く必要があったのです。そこで、Solitude(対話する自己自身をもつ)とLoneliness(大勢の他人の中で孤立していて自己自身をもっていない)の区別を知ることが、全体主義の成り立ちを知るために必要であると諭じることになったのですね。