もういちど読むアンチ=オィデプスの思想

▼わたしが高校生だったときの倫理教科書は、最後を飾ったのは実存思想の哲学者サルトルでした。「もういちど読む倫理」(山川出版社 2011年)を読みますと、「西洋の近代思想」の最後は、大学生のときに読んだドゥルーズ&ガタリのアンチ=オィデプスのポスト構造主義の思想です。▼皮肉なことに、この後に続く「日本の思想」はそれを嘲笑うかの如く和辻の「日本の風土と文化」からはじまります!しかし、ドゥルーズ&ガタリのアンチ=オィデプスの思想とは、多様性の開かれた方向に向かって、いかに、理論的前衛が推し進めることになった抑圧的な一つのもの即ち全体主義的なものに多数の穴を開けていくかという('欲望'という言葉で強調される)実践的課題にかかわる思想だったとおもいます。▼現在の問題として読むと、いかに、抑圧オィデプス=国体論的<一つの日本>、抑圧オィデプス=自文化中心主義的<一つの日本語>に穴をあけていくのか?また、いかに、抑圧オィデプス=近代主義的<一つの思想史>に穴をあけていくことができるのか?こうしたことが問われているのではないでしょうか。▼これらは、抑圧オィデプス=教育勅語的<一つの教科書> ー田中角栄福田赳夫中曽根康弘から安倍晋三に至るまで自民党政治精神分析が再び教えようとするー に穴をあけていくこと、多様性に方向に知を開くという課題と無関係ではないとおもいます。

本多 敬さんの写真