ホッブスはなぜ、「リヴァイアサン」を書いたのか?

ホッブスはなぜ、「リヴァイアサン」を書いたのか?

解釈改憲の限界もあり、やはり憲法を改正しないと安倍自民党は彼らが望むようには自由に戦争することができないでしょうが、事態は厳しいです。ある制約のもとで彼らの戦争をできる国になってしまいました。昨年と今年は全然違います。ただし、9条の改正によって安倍自民党に都合よく自由に戦争をできる国になったとしても、もしたたかう国民が恐怖に感じていたら戦争をはじめることができないしょう。が、問題は、もし戦争になっても「安心」だと思いこまされたら、最悪です、かれらの戦争できる国が勝手に戦争するでしょう。歴史を思い返すと、戦前の靖国神社はそうした「安心」を説いたという顕彰施設でした。戦う国家が祀る国民によって一体化する国家神道を禁じた憲法政教分離の実質を、歴史修正主義者の安倍とかれの応援団(政・財・官・マ・文化人)は全力で崩してくるとき、そこから議会制民主主義の対話的理性に委ねた平和主義の実質がふたたび崩壊する可能性のあることを、人々が知ることになれば、安倍はそう簡単にはかれらの戦争をできないとわたしは考えます。問題は新しい国体のイメージは何かということ。事柄の性質上、国会の大きな人間だけに任せていくおくことができないのは当然です。敗戦後に誓ったこと、誓わずしてはやっていけなかったこと、つまり、戦争をできる国からすれば「異常な国」だと嘲弄されても、「普通の国」としてやっていくのだという誓いの意味について小さな人間達が徹底的に考えるときではないでしょうか。第一次大戦後、「戦勝国」日本では、「改造」と「平和」を求める「大正デモクラシ―運動」が起こったが、わずか14,15年後余りで国家主義ファシズム軍国主義を標榜する軍閥・官僚などの反動勢力によって圧殺されてしまいました、あらためてこの歴史のことをかんがえます。ホッブズ研究者の田中浩は最近の本で、民主主義とは「永続的思想革命」への努力であることを指摘した上で、「人間」にとって最高の価値は、「生命の安全」にあることの意味を説いたホッブズの思想を学習する必要があると結んでいます。

 
 

 

 
本多 敬さんの写真
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