「伊勢神宮の意味を問うツアー」では、初日に本居宣長のどちらの墓が本音なのかわからない二つの墓を見学したのですが、宣長のことを、あらためて自分のために自身でもっと考えてみる必要をかんじました。(小林秀雄のようにはうまくいませんが)

伊勢神宮の意味を問うツアー」では、初日に本居宣長のどちらの墓が本音なのかわからない二つの墓を見学したのですが、翌日の帰りの電車のなかで、北京大学から東大に研究しにいらっしゃっている留学生さんから質問を受けました。「宣長はなぜ漢学を嫌ったのですか?」ときかれたとき、「宣長は漢学を嫌ったどころかそれを必要としたし、仁斎とくに徂徠の仕事から影響を受けた」と一応説明したつもりでしたが、これについては、あらためて自分のために自身でもっと考えてみる必要をかんじました。松阪城跡のなかに置かれた宣長邸の台所?を撮った写真ですけど、(写真の下の)円の図形を眺めながらかんがえています。この庭に降りた宣長が円の中の様子を覗こうとしている姿を私は想像しています。宣長というのはきっと、外部の思考なんですね。宣長は、外部から、絶対的に失われた世界を復活させることの限界を露呈させ、(フーコが言っていたような意味で)終わりを告げ、その拡散を煌めかせ、その克服しがたい不在に直面するそんな思考、そして同時にこの思考は漢学の実証性の入口に位置しても、決して失われたもの(大和王国?)を把握するのではなく、距たりを再び見出した思考ではなかったでしょうか。「天地初発之時」をアメツチハジメアリキと読んだ注釈は、ただしアメと読める「天」が一体なにを意味するのかわからないった注釈は、当時の儒者たちからみれば、いわば暗号によって記されたものだったと考えたかもしれないなどと色々と想像しています。そしてそこで、宣長は他の文明からの自立のことを語っても、本音をストレートに出してくるような近代的なロマン主義ではないでしょう、二―チェとかハイデガーを借用する加藤周一がいうようには...
 
 
 
本多 敬さんの写真
 
参考
「あらゆる主体(シュプジェクティヴィテ)の外に身を保って、いわば外部からその諸限界を露呈させ、その終末を告げ、その拡散を煌めかせ、その克服しがたい不在のみをとっておく、そんな思考、そして同時にこの思考はあらゆる実証性の入口に位置するのだが、そのことはこの実証性の基盤ないし正当化を把握するためであるよりも、それが展開される空間を、その場となる空虚を、それが成立する距たり、視線が注がれるやいなやその直接的確実性の数々が身をかわしてしまう距たりをふたたび見出すためである、-この思考は、われわれの哲学的反省の内面性、およびわれわれの知の実証性との関係からみて、一言でいえば<外の思考>と呼び得るであろうものを形成しているのである。」(フーコ「外の思考」豊崎光一訳)
Cette pensée qui se tient hors du toute subjectivité pour en faire surgir comme de l'extérieur les limites, en énoncer la fin, en faire scintiller la dispersion et n'en recueillir que l'invincible absence, et qui en même temps se tient au seuil de toute positivité, non pas tant pour en saisir le fondement ou la justification, mais pour retrouver l'espace où se déploie, le vide qui lui sert de lieu, la distance dans laquelle elle se constitue et où s'esquivent dès qu'on y porte le regard ses certitudes immédiates, - cette pensée, par rapport à l'intériorité de notre réflexion philosophique et rapport à la positivité de notre savoir, constitute ce qu'on pourrait appeler d'un mot <la pensée de dehors>. (Foucault)

「カントとヘーゲルの時代、歴史と世界との法則(ロワ)の内面化が西欧の意識によってあれ以上に緊急に求められていたことはたぶんかつてなかった、あのころにおいて、サドが語らしめているものは、世界の法(ロワ)なき法(ロワ)としての、欲望の赤裸さただそれのみなのだ。ちょうど同じ時代に、ヘルダーリンの詩においては神々の煌めく不在が顕現し、「神の欠如」からくる謎めいた助力を、たぶんいつまでも待ち望むという務めが一個の新たな法として告げられていた。同じころに、一人は言説の終わることのない呟きにおける欲望の赤裸化によって、もう一人は行方を失う途上にある言語の間隙における神々の迂路の発見によって、サドとヘルダーリンはわれわれの思考の中に、来るべき世紀のために、だがいわば暗号によって記されたものとして、外の思考という体験を託したと言うのは、はたして言いすぎになるだろうか?」(フーコ「外の思考」豊崎光一訳)
A l'époque de Kant et de Hegel, au moment où jamais sans doute l'intériorisation de la loi de l'histoire et du monde ne fut plus impériesement requise par conscience occidental, Sade ne laisse parler, comme loi sans loi du monde, que la nudité du désir. C'est à la même époque dans la poésie de Hölderlin se manifestait l'absence scintillante des dieux et s'énonçait comme une loi nouvelle l'obligation d'attendre, sans doute à l'infini, l'aide énigmatique qui vient du < défaut de Dieu>. Pourrait-on dire sans abus qu'au même moment, l'un par la mise à nu du désir dans le murmur infini du discours, l'autre par la découverte du détour des dieux dans la faille d'un language en voie de se perde, Sade et Hölderlin ont dépose dans notre pensée, pour le siècle à venir, mais en quelque sorte chiffrée, l'expérience dehors? (Foucault)