プルースト小説の別の読み方

小林秀雄が言っていたのですが、「わからない」と言う人はあまりに短い時間でわかろうとするから難しくなってしまうのだと言っていましたが、成程、短い時間の効率性の規範性は産業革命の近代のブルジョアの発明物です。▼フランス革命以来、「世界の創造者」と自らのアイデンティティーに己惚れるブルジョアがつくる都市からかくもどうしてこんなに疎外されてしまうのか?危機感をもって、別のやり方で自分達にとって住みやすい環境をつくることが表現者の出発をなすものでした、彫刻であれ建築であれ。ダダの継承者である、ヌーヴェルバーグの映画の表現者もそうでした。▼「失われた時を求めて」からのセリフをひきますと、「仕事をせよ、有名になれ、です」<Travaillez, devenez illustre, me dit-il....>、と、作家(プルースト)に指差す輩は。ブルジョアの奴隷として皮肉に描かれている存在かもしれません。▼ただ、プルーストは敢えて音楽家にこの言葉を言わせているその理由はなぜかというと、モレルが体現するアナーキストボヘミアン芸術家と、ここではプルーストが体現するブルジョアとの間の断絶を指示したかったのではないでしょうか。▼敏感な小林は気がついていましたが、一般読者において、心理的小説と思われているプルーストにこうした階級的テーマの読みが欠落してしまいます。が、私にそういう読みを教えてくれたのが、産業革命もなく失業の国だったアイルランドの知識人です。ポストコロニアリズムの読みですね。▼ブルジョアが「世界の創造者」といわれても、実際は「創造」もすっかりやめたネオリベの現在は、貴族の真似をして他人のものーとくに公的領域に属するものーを強奪しているという有様ですから。これが1990年代からの生活の現実であります。たとえネグリの本を読まなくとも、21世紀においてオキュパイ運動とそれに準じた抗議活動が世界の都市の各地で必然として起きてくることがわかります。