中江藤樹とはだれか? - 市民大学講座「江戸思想を読む」(第一回)の感想文

中江藤樹とはだれか?

 

王陽明への称賛は明治における顕著な傾向でした。内村鑑三において王陽明キリスト教的信仰にもっとも近くまで達した人物として高い評価をえました。「王陽明は、孔子にありし進歩性を展開し、そして彼をその光をもって理解しようとした人々のなかに希望を吹き入れたのである。「近江聖人」は、今や実践的の人間であった」。「近江聖人」とは17世紀の中江藤樹のことです。中江の逸脱した異端の学にならざるをえなかったその思想は、陽明学の言説を多様化しました。かれは、脱藩し逸脱することによって、農村で実行した異常な孝行によって、儒者になることができたのです。彼が生きた知識の世界は閉じた世界ではありません。1640年は明末の終わりですが江戸の始まりです。この時代に長崎から明からの書籍が入ります。このとき中江は1640年は皇帝が与えた中国の「孝経」を再発見しますが、「「江戸思想」を読む・第一回」(子安氏)で検討されたことは、中江はそれを自分の心のテクストにしてしまったことの思想史的意義です。大まかに整理しますと、それまでは、「孝」観念の意味内容は、母子一体性の本源的な記憶(すべてのひとがもつ記憶)という内観法的な回想によって現前化することを求める行法心学との関係において説かれていました。私の理解では、(中江が自分の心のテクストにしてしまった後は)、「孝」は、「だれにも生きることが可能であり、それによって誰もが人間的価値をもつことが初めて可能となる」という心の平等をあらわす<名>となっていった、と考えてみました。この「孝」という<名>から、中江の感化の運動と彼の表現をみてとることができます。「1600年代の東アジア世界の明代儒学・心学思想を介してしか、徳川日本からのアジアにおける普遍的思想を表現できない」というアジアの視点で考えるこの問題提起こそは、アジアを完全に忘却した人間(安倍)が権力の中枢にいる21世紀日本を批判していく大切な方向性を与えると思いました。(本多)