MEMO ; congruent

MEMO

 

▼congruentは、辞書で引くと最初に、「一致」「調和」in agreement or harmonyとある。また、幾何学的な意味もあるgeometry of figures。「合同」という意味で、coinciding exactly when superimoposedと説明されている。これは、図形とか空間同士を重ね合わせたときの「隣接性」の意味である。厳密にいうと、論理学的に言われる「同一性」 identityの意味と理解する必要がない。たとえばデヴィッド・ヒュームDavid Humeの文例をひくと、
And here 'tis evident we must confine ourselves to resemblance and causation , and must drop contiguity, which has little or no influence in the present case. ドウルーズ研究者の訳を示すと、「ここでは明らかに、われわれは類似と因果関係に話を限って、隣接性は無視せざるをえない。...この事例では、隣接性はほとんど、あるいはまったく影響力をもたないからだ。」(*ここでヒュームは、類似と因果関係の例として、自己自身の考察または他者の考察、魂の如く譬えられる国家と共同体について触れる。)

ドゥルーズは、(脱)存在論的にヒュームを読むとき、「反復性répétition」と「類似性ressemblance」を区別することから始めた。「反復は一般性ではない。・・・差異は、本性上、反復と、たとえどれほど極限的な類似であろうと、その類似との間にある。」La répétition n'est pas la généralité ....La diférence est de nature entre la répétition et la ressemblance, même extrême.

▼イギリスでは、ヒュームはウィットシュタインと一緒に語られる。このとき「類似性similarities」とウィットゲンシュタインが言うものもまた「同一性」を意味しない。「われわれは、互いに重なったり、交叉したりする複雑な類似性(similarities)の網の目を見、大まかな類似性や細部の類似性の網の目を見ているのである、と」(藤本訳)we see a complicated network of similarities overlapping and criss-crossing sometimes overall similarities, sometimes similarities of detail. この場合、懐疑論的にかつ経験的に観察された「類似性」が「同一性」の観念性を破ることになる。

ドゥルーズはこのウィットシュタインの家族的類似性のゲーム論を二項対立的なヴァリエーションとして批判した。たしか、そんなゲーム論ではどうやってファシズムとたたかうつもりなのかとどこかで問うていた。(彼はカントの研究者でもあるんだね。) ロンドンのテートモダンでレクチャーを受けた現代アート論はウィットゲンシュタインが大事だったけれど、最近注目されるようになったネグリのアート論(単独性 singularité)はいうまでなくドウルーズからの発展だね。

 

 

 
本多 敬さんの写真