原発村の村長さんだった科学者が自分がこしらえた安全にかんする客観的な基準を自らに適用する、ただし大臣の権威のもとに。現在の状況というのは、まさにゴダールの「アルファビル」、ラカンが言った「大学の語り」をおもいます

原発村の村長さんだった科学者が自分がこしらえた安全にかんする客観的な基準を自らに適用する、ただし大臣の権威のもとに。現在の状況というのは、まさにゴダールの「アルファビル」、ラカンが言った「大学の語り」をおもいます。それでも、原発災害は絶対ないということはないと考えるようになったと大威張りなのですから、それならば、せめて次善の策として原発周辺住民の一時的避難の措置を行政に勧告したらいかがでしょうか。完璧に計画していたはずの避難路の状態も大変危険になっているとききます。

 

 

 
本多 敬さんの写真

安倍政権九州電力は危険だと知っていても原発を止めようとはしないかもしれない。この道しかないから、原発の道しかないから。そうして国家の災いが起きたときは民が全部の責任を引き受けるべしという国家道徳が、止めるのか止めないのかと考えることそれ自体を無意味にしてしまうのではないか。原発とそれを支える原発体制は、どうしようもなく、人間の考える理性と市民の意味を問う正義を限りなくゼロにしてしまう盲目的な衝動であるとわたしはかんがえてしまう。なんのためにたたかっているのか自分達でもわからなくなった日本の戦争になんだかすごく似ているとおもう。