なぜ江戸思想なのか?、と、心の中のわたしは繰り返し問います。そして、お前は例の「日本回帰」なのか、と。しかし心の外のわたしは、「日本回帰」の「回帰」のその意味がわかりません。

なぜ江戸思想なのか?、と、心の中のわたしは繰り返し問います。そして、お前は例の「日本回帰」なのか、と。しかし心の外のわたしは、「日本回帰」の「回帰」のその意味がわかりません。フランス国家ですらトッドによるともはや無いと嘆くぐらいですから、同一性の故郷に帰るという意味での「回帰」するような「日本」なんかまだ存在しているのでしょうか?権利のない国になればなるほど、救済神学的に美しい国が清い民衆の中に存在していると思わされてしまう全体の幻想は大きくなってきたのですが、東京は人間が考える空間が奪われています。ヨーロッパでガイジンとして考えたことを日本人として考えるときに生じる距離、そんな思考の空間がわたしにあるだけです。(ここでフラッシュバック!)嗚呼、この距離は、永井荷風なんかが浮世絵の鑑賞を感覚的に表現できたのかもしれません(大逆事件(1910-1911)の衝撃があったといわれますね。)萩原朔太郎は鎌田あたりを彷徨し魂の生きる空間がなくなったと嘆いて、蕪村如き漢詩を反時代的に書いていくことになりました。この時代の、1930年代の「近代の超克」の論客たちは何を発言したのでしょうか?教条主義的に理解した廣松渉は右翼と間違えたが、思想史的に言って、論客たちは左翼でした。この普遍主義(西欧文明)からの自立をいう<昭和思想>に、徳川日本の普遍主義(中国文明)からの自立をいう思想との類似を指摘できるかもしれません。しかしむしろ、反復でもなく類似でもないような、反復と類似の間で、<昭和思想>の同一性を脱領土化する差異の運動があったことを見落とすべきではありません。それは何であったのか?これがグローバル時代に、多様性としての普遍主義のあり方を問うわたしにくりかえされる問いであります。だから17世紀<江戸思想>のラディカリズムからはじめることに大きな意味があるようにおもうのです。

 
本多 敬's photo.