17世紀伊藤仁斎はカント的だった。近世の仁斎をはじめ江戸思想がラディカルなのは、ほかならない、人と道とのモンタージュがあったからだ

「中庸」においては、無媒介に、人物の性は日常事物に結びつけられている。なぜそうかを詳細に説明するとなると、この言葉のインパクトが消えてしまうことになるかもしれない。中世の朱子形而上学においても、ヘーゲル的なだけに、人物の性を日常事物に映し出すスクリーンが存在しない。それにたいして、17世紀伊藤仁斎はカント的だった。近世の仁斎をはじめ江戸思想がラディカルなのは、ほかならない、人と道とのモンタージュがあったからだ。なぜならマルクスが見抜いたように、ラディカルであるとは、事物を根本において把握することである、だが、人間にとっての根本は、人間自身である、からだ。このことを学んで考えている。最後に私の理解では、1930年代の昭和思想は「日本精神」を呼び出すとき、江戸思想によって開かれた方向に向かって自らを再構成する可能性があった。しかし日本浪漫主義の文学者は自らを日本回帰という固有性の翻訳不可能な内部に置いてしまったという...

 
本多 敬さんの写真