雪舟、狩野、広重

 

雪舟、狩野、広重

 

美術的には、この三つの作品は見事にわたしのなかで繋がりあっています。▼だが残念ながら、わたしの勉強不足で、繋がりの背景にあるものが何かをきちんと言語化できていませんね。▼岡倉天心の本を読んでも(この私に理解できるようには)その答えが書いてあるとはおもいません。▼ところが、全く期待もしていなかったのですが、家永三郎「日本文化史」を読んでみたら、私の中の繋がりを説明した体系的な根拠が書かれていると理解しつつあります。▼しかしどうして家永はこれほどの説得力をもって説明できてしまうのかと暫し考えこんでしまいます。▼このとき気が付いたことは、はたして、「東洋の理想」の岡倉天心のアジアはどこへ行ってしまったのかということ。▼逆に、もし「日本文化史」は「アジア文化史」だったならば、これほど体系的に効率よく書くことができたのだろうかと疑問におもいます。私自身への自己批判を含んだ一般的な話ですが、いくら効率的に書けてもそんな体系は、体系の外部からみると、言い換えると他者のアジアからみると、意味があるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本多 敬さんの写真