感想文;音楽劇「消えた海賊」(広渡常敏=作、公家義徳=構成・演出)

感想文;音楽劇「消えた海賊」(広渡常敏=作、公家義徳=構成・演出)

▼2002年のイラク戦争のときに書かれた「消えた海賊」は、徴兵拒否の若者達が集まって「自由の国」のあり方について議論するという場面から始まる。「海賊」とは何か?掘田善衛の原案に依ることから、「海賊」という語で意味されているのは「市民」であろう。入江洋佑氏に伺う。当時脚本を書いた広渡氏の記憶は、市民思想の久野収、戦後文学の武田泰淳等などからの影響と結びついていたという。この音楽劇から、東京演劇アンサンブルの原初的なあり方を読むことができるのだろう。

▼さて国家、国家と優先するけれども市民を殺す国家なんて捨てていいとアルビアデスの言葉を引いて説いたのはべ兵連の小田実だった。21世紀ブレヒト小屋はべ兵連的自発性の脱領土化運動に新しい意味の息吹を与えることができるか?

▼「オレたちを厚い壁がへだてている。オレたちは厚い壁に取り囲まれてている。その壁をぶち破るんだ」と若者は訴えた。大海原に憧れて大循環のふところに漕ぎ出していくと歌われる。その懐に、国家と市民は平等と思って生きている「海賊船」があった。「海賊船」の帆柱は若者にとっては希望の軸。「マング―ズ号」の海賊=市民は、「命令」を廃止してしまう。「精神の若さ」は人間の自発性を重んじて「主人と奴隷の関係」をやめたのだ。

▼また人間の自発性が女性のセクシュアリティの解放と結びつくという真実が明らかにされていく。

▼芝居の最後で、「命令形」をつかわない「海賊船」が消されたと告げられる。だが注意しよう。消えたのは、<最初>の「海賊船」だったかもしれないのだから。その後に次々と命令なき海賊船が現れた、「海賊船」の倫理的理念は消えない演劇の力に定位することになったのではあるまいか、と、私の解釈を志賀澤子氏に伝えてみたら、「知識人は海賊なのだから」と語られた。▼知的で非常によく統御された劇の構成ー衣装による真の表象、ダンスによる真の運動、そして林光氏の音楽による真の夢

 

 
東京演劇アンサンブルさんの写真