釈 迢空( 折口信夫)の「東京を侮辱するもの」(昭和十年四月)を読む

釈 迢空( 折口信夫)の「東京を侮辱するもの」を読む

詩を解釈するためには折口についてもっと調べる必要があると感じています。この詩にかんして感じたことを素直に書くと、わが魂が祀られる安心な場所がないと、山奥の木ー異界の入り口ーのまえで嘆いて祈っているような、あるいは憤って抗議しているようなそんな孤高な詩人の姿を思い浮かべますね。絵になります。が、昭和10年代の彼の立ち位置から現在のわれわれに向かって「おれの感情」の何々を伝えようとしたいのか、それを知ろうとするとつきはなされてしまうと感じるのは私だけでしょうか。折口がロマンテイックに救いを求める、常に白黒はっきりしない「古典」への依拠もかなり曖昧です。そもそも、その「古典」こそは曲者で、昭和全体主義が解釈しはじめた日本回帰の掌の中にいるままではないのかということをどうしても考えることになります。そのままの古代なんかありません。ただ解釈された古代の言説しか存在しないこと、同時にそれが政治であること、詩人が知らないわけがありません。それならば結局、救いなきところに真の救いがあるというアイロニーのほかに...何が言われているのか?謎は残ります。「われわれの委任状」というものに一体何を託したかったのかが明らかになりません。ただはっきりとしていることは、この時代は、日清、日露戦争の問題が棚あげにされたまま、日中戦争に向かって自覚なく総力戦に巻き込まれていくことになるという時代でした。私の理解では、昭和10年代のその方向はまさに、知らないうちに勝手に進行したイラク戦争の協力が批判されることがまったくないままに、新安保体制の日本がアメリカ軍の一部となって「地球の裏側」まで行って戦闘する体制へシフトしてきた現在の方向と重なり合うのです。それを推進する安倍応援団の日本会議はいきなり出てきたのではありません。驚くべきことに、戦前からの直接の繋がりをもったこの政治団体は、イラク戦争で「日本国民も犠牲を払うべきだ」という世論を背景にその存在感を増したと指摘されています。その文化政策は、昭和10代を繰り返しています。(政治を文化論的言説(救済神学)へと還元してしまうこと。例えば「美しい日本」という文化論的言説から、<神道は習俗です>、<天皇と首相の靖国公式参拝違憲ではなく、もし違憲だというならば問題のある憲法を改定すべきだ>とする声がなんとなくあっちこっち広がってくることになる年かもしれません)

「東京を侮辱するもの」 釈 迢空( 折口信夫)

山に 一本、まじりまじりと おれを見てゐる木がある。
世界の隈に、そんな凝視者を 考へるだけで 赧くなる
われわれの青空は、蜻蛉をばら撒いた飛行機だ。
あの音の ぎやうぎやうしさ。この都会を侮辱してゐる。
この国の古典は、つねに怪奇に 澱んでゐる。
ところが 現実は、軽弾みで、ぷりぷりと跳ねかへる
われわれの委任状は、たしかに軽蔑されてゐる。
雄弁大会の群衆で 渦を捲く 国会議事堂
地下鉄に はためく春の闇―。をや 鶯だ―。
その声―幻想におしつけられた現実
びるぢんぐの深夜へ、ふりかへる おれの感情
おれを 侮辱してけつかる
おせつかい爺め―。日本の沓だ はけとぬかす。
ろくでなしの 空想でこさへた だぶだぶの沓をよ
君に 一本の たばこを捧げてもいいだらうね。
九段の阪の かげろふの春がさせる 気まぐれだよ。
 ―立ちんぼ君
にぎりこぶし。がらす戸を叩きのめす感激。
其瞬間を予期する つまらなさで ひきさがる
 
昭和十年四月