二つの文章ーハンナ・アーレント「革命について」(志水訳)より引用

革命の現象に、はじまりの問題がどのような意味をもつかは自明である。このようなはじまりが暴力と密接に結びついているにちがいないということは、聖書と古典が明らかにしているように、人間の歴史の伝説的なはじまりによって裏づけられているように思われる。すなわちカインはアベルを殺し、ロムルスはレムスを殺した。暴力は始まりであった。暴力を犯さないでは、はじめはありえなかった。伝説と受けとられているか歴史的事実と信じられているかは別として、われわれの聖書的あるいは世俗的伝統のなかに最初に記録されている行為は何世紀も語り継がれてきた。そして、それが語り継がれてきた力強さは、人間の思想が、説得力のある比喩や普遍性をもつ物語を生み出すときに稀に獲得することのできる類のものである。伝説は次のことをはっきりと物語っている。どんな人間が互いに兄弟たりえようとも、それは兄弟殺しから成長してきたものであり、どんな政治組織を人間がつくりあげてきたにせよ、それは犯罪に起源をもっているのである、と。「はじめに言葉ありき」という聖ヨハネの最初の一句が人間を救済するための真実を語っているとすれば、「はじめに犯罪ありき」ー「自然状態」という言葉はそれを理論的に純化して言い換えたものに過ぎないーという信条は、人間事象の状態を示すうえで、幾世紀ものあいだ、この聖ヨハネの言葉と劣らないほど自明の真実を語り続けてきたのである。(ハンナ・アーレント

 
本多 敬さんの写真

 

活動の文法とはこうである。活動とは、複数の人間を必要とする唯一の人間的能力である。そして権力のシンタックスはこうである。権力とは、人々が約束をなし約束を守ることによって創設行為のなかで互いに関係し結び合うことのできる、世界の介在的(in between)空間にのみ適用される唯一の人間的属性である。そして、それは政治領域では最高の人間的能力とみてさしつかえないだろう。言い換えると、革命に先立って植民地アメリカにのみ起こったこと、逆に言えば、古い国であれ新しい植民地であれアメリカ以外のどこにも起こらなかったことは、理論的に言えば、活動が権力の形成を導いたというjこと、そして、権力が当時新しく発見された約束と契約によって保持されたということである。すべての強大国が大いに驚いたことに、植民地は、すなわち群区townshipや地方provinceや群countyや市cityは、互いに全く異なっていたにもかかわらずイングランドとの戦争に勝利した。そしてそのとき、この活動によって生まれ、約束によって保持された権力の力が全面に出てきたのであった。(ハンナ・アーレント

 
本多 敬さんの写真