1600年において初めて言われる言説とは何か? —熊沢蕃山

1600年において初めて言われる言説とは何か?

1600年に、<線>ーそれ以前とそれ以降との間の断絶ーを引くことの思想史的な意味はなにか?1600年に成立する近世という社会とは何か?公開性すなわち学問と読書(書籍)が公開されるようになったが、伊藤仁斎など有名な儒者たちが現れるのは、17世紀初頭である。宋明儒学の体系という漢字文化圏の東アジア思想の普遍的な思想体系(学問と知識の体系)を通じて、東アジア社会が自らを位置づけていく。この宋明儒学の体系を学ぶことによって(受容することによって)、江戸思想を、普遍的な言説にすることができた。そうして武士が知識層となったのは、1800年以降である。17世紀前半の熊沢蕃山のようなオリジナルな武士は、これから武士の教養的地盤を確立すること、武士を知識層にしていくことの意味をとらえていた。それにもかかわらず、かれの言説は自己自身に矛盾していたという問題がある。子安宣邦氏によると、熊沢蕃山について考えることは挫折した議論となってしまうが、なぜかと考えること自体興味があるという。「士の学」という儒学の位相。ある理念型を構成しながら社会を構成していってしまう、(ヨーロッパ思想の丸山真男に顕著な)アナクロ的な<ズレ>の問題が検討された。また中江藤樹との差異についても考えることになった。

 

(本多、昭和思想史研究会)