日本会議の新右翼にいかに反論していくか、その反啓蒙主義的対抗にたいしてどのような抵抗の言説を形成していくか?安倍の政治に反発する人々のなかに、まさか国家神道の復活など無いよと予言してしまうひとたちが結構多いことに驚きます。たとえば靖国神社の国有化を求めた靖国神社法案は過去に五度も提出されている事実をどうみるかでしょう

日本会議新右翼にいかに反論していくか、その反啓蒙主義的対抗にたいしてどのような抵抗の言説を形成していくか?安倍の政治に反発する人々のなかに、まさか国家神道の復活など無いよと予言してしまうひとたちが結構多いことに驚きます。たとえば靖国神社の国有化を求めた靖国神社法案は過去に五度も提出されている事実をどうみるかでしょう。戦争している国家の敵対的他者に対する揶揄がいかに危険であるかということ、そして揶揄の自由を守ることについてフランスの伝統的なナショナル・アイデンティティーである表現の自由を持ち出すことがいかにズレてきてしまったことを理解できるならば、あちら側でエスカレートしている問題は、こちら側の問題として置き換えて再構成していくことが大切です。天皇と首相の靖国公式参拝憲法が禁じる政教分離にあたらないとするような憲法改正がいかに危険であり、その参拝の自由を(神道は古代からの習俗という)捏造されたナショナル・アイデンティティーによって正当化することの深刻な問題がみえてきます。新右翼の反啓蒙主義的対抗はフランスでも日本でも展開していますが、イギリスの新右翼運動の場合は、90年代にイスラムを揶揄したと考えた英国イスラム教徒たちがその本を焼きはらう抗議に反発する形で、展開されることになりました(マルチ・カルチュアリズムの無政府主義から、英国の伝統的ナショナル・アイデンティティーである法の支配と言論の自由を守れ)。ここで四年間のロンドン時代のことを思い出すと、マルチ・カルチュアリズムの精神を尊重したBBCイスラムに配慮しているように、メディアが揶揄の自由を抑制することが不可能ではありませんでした。ロンドン市長のカーン氏は(前々市長リビングストーン時代の)マルチ・カルチュアリズムへの信をもって現れてきたといわれています。同様に、安倍は東アジアの批判に耳を傾けて靖国公式参拝を我慢できるとおもいます。

 
本多 敬さんの写真