蜷川幸雄とは何であったのか?

蜷川さんが演出した芝居について語る言葉がちょっと少ないんじゃないなどと感じるのはどうも私だけではないようですね。東京の90年代にみた、女たちの「ゴトーを待ちながら」。京劇役者が出る「真夏の夜の夢」では芝居の中で廣松渉批判のセリフをききました。ロンドンで観たのは、金剛力士像が立つひな壇「シェークスピア」。戻ってきた東京で観たのが、モデルと芸能人と役者が力を合わせた「ゲルツェン」。このときは日本人は亡命というものを表現できないことを知りそれはなぜだろうかと考えることに。またヨーロッパ的デガダンスは難しいが、その代わりとして(?)、土着的なものを表現しようとします。蜷川が演出した寺山修二のあの独特な世界ー役者となって見世物になるしかないという脇役の生きざま、人間の媒介のない生きざまーで表現されていた存在のテーマなどを色々思い出しています。最後に観たのは狂言の「ファウスト」。関係の冒険という、元々彼がやって来たアングラの多種多様な力とは何であったかを蜷川さんの舞台の構成によって少しでも理解することができたような気がします。言葉足らずですが