木村敏「自己・あいだ・時間」を読む

1981年初版だったか...。多分80年代後半でなく90年代初めに読んだようにおもうが、読んだときは、「アンチ・オィデプスー分裂症と資本主義」も読めるようになるのではないかと期待したものだった。この本はそれ自体として読むに値するとおもう。これを読んだとき、時間の意味を考えた。そして時間の「構造」ー時間そのものの分裂ーを理解して驚いた。単純化を恐れずにいうと、分裂は多元主義である。時間が、憲法と同様に、<われわれ>の拠り所となるのは、われわれの<あいだ>に分裂を生産するからではないか。

「このような未来先取り的、予感的、先走り的な時間制の構造は、さきの「ポスト-フェストム」概念と対置する意味で、ラテン語で「祭の前」を意味する ante festumの語で言い表せるのではないかと思う。もともと、この「アンテ-フェストム」の概念は、ルカーチがブルジョワジーのイデオロギーを「ポスト-フェストム的意識」と規定したのを受けて、j. ガベルがプロレタリアートイデオロギーを名づけた「アンテ-フェストム的意識」の概念にヒントを得たものである。ポスト-フェストム的時間性を特徴とするメランコリーないし非分裂性妄想病がブルジョワジー的にな意識性に、アンテ-フェストム的時間性を特徴とする分裂病がプロレタリアート的な意識性に、より多くの親近性を示すことは、決して偶然ではないだろう。」(木村)

 

本多 敬さんの写真