「童子問」 - 仁斎とカント

ヨーロッパの旅は私にとっては、書物の旅。書物は時間のなかを旅する(ボルヘス)。この書物の旅でわからないのは、たとえばルソー「エミール」を読むときのフランス啓蒙主義というあのおそるべき普遍的抽象性はどこからきたかということ。この点をかんがえながらフランスをその外側からみてみようと実際にイタリアを旅してみると、フランスにあるものは全部といっていいほど、イタリアが先行していたのではないかと思う。皇帝と教会は互いに対立し合ってきたが、この両者の権威に対抗したのは、都市の自由(イタリア)であった。その後に隷属的民衆であることを拒んだのが個人の自由(フランス)という理念であった。ルネッサンスを契機に時代と同じ大きさをもった都市があらわれたとしたら、フランス革命からは、時代と同じ大きさをもった人間(思想家)があらわれたということだ。「都市の自由」よりも「人間の自由」のほうが遥かに遠く抽象的な普遍主義の地平へ行くということか?さてフーコは啓蒙主義の影響について言及するが、ドイツ啓蒙主義(カント)もあれば、スコットランド啓蒙主義アダム・スミス)もあったから、啓蒙主義はひとつではないという前提に注意しよう。道徳的主体をいうカントは、それを、中世とヘーゲル哲学のようには(本来性としての)道徳性に還元しなかった。フーコが指摘しているように、理念的な道徳を要請したのである。同じ意味でスコットランドアダム・スミス道徳心の要請をいったのである。そして、同情心・共感から愛へと発展させていくこれらの倫理学の時代は、伊藤仁斎がいうところの四端の心を拡充させて仁(愛)へ行くことを説く倫理学の成立と同時代である。仁斎はかれの「童子問」で、朱子学の思弁哲学に顕著な「性」のもっている中心性を否定していく。つまり理念的な「道」を第一にした。「道」をいかに個々が実現していくのか、そこで学ぶことの意義について問いながら、東アジアの知ー朱子学的普遍主義ーを多様性の方向に再構成していった。この思想史を「仁斎と共に学ぶ論語塾」で学んでいる。
 (参考)「デカルト以降、人々は認識の主体を獲得し、この主体がカントに、道徳的主体と認識の主体との間の関係が何なのかを知るという問題を提起した。この二つの主体が異なるものか否かを知るために、啓蒙主義の世紀に大いに議論がなされた。カントの解決策は普遍的主体を発見することだった」-ミシェル・フーコー「倫理の系譜学」

 

 
本多 敬さんの写真