荻生徂徠と社会哲学

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荻生徂徠と社会哲学

A

荻生徂徠と社会哲学われわれの言語が言語化できないような、人物の性と日常事物の規範の間の一致、その無分節の世界について「中庸」は物語っていますが、まさにこの一文がそういうものですね。それは朱子学の難問を構成しますが、こうした難問をどう解決したということも含めてとにかく徂徠の考えをおさえておくためには、彼が影響を受けかつ批判してきた伊藤仁斎との差異を知ることが大切のようです。仁斎は「四端の心」という倫理学の再構成を言います。(朱子の存在論的言説を脱構築して)理念的な「道」を第一にしました。「道」を個々が内面的に実現していくのであり、同時に、同情心をもって生まれた人間が同情心を育てるのは「教」である、という言説は、互いに補い合っていることがみてとれます。そこでは、共同体は積極的な役割はどうなるのか?共同体は、仁斎のいう人倫の対自的な道によっては、自らを語ることが不可能なのでしょうか?「道」を個々が実現するという仁斎のテーマからはこういうことが問題となります。ここから、荻生徂徠は、個人の内面的道徳論を超えて、人間社会全体への視点をもとうとした、と、私は...自分のための理解の整理にしています。その思想の根底には中国古代の先王の「道」があることが指摘されます。『弁名』は、先王が人間社会形成のために命名したことばー共同体がそれは何を指示しているのか読めなくなったーを探究することが課題となりましたが、とにかく、朱子学の難問について、伊藤仁斎倫理学の再構成からそれを解決したが、徂徠は聖人の制作という、いまなら社会哲学的といわれるような知的なアプローチで解決しようとした、と、一応の整理を得ることができるようです。ここで、徂徠における「天帝」概念の成立を告げた文章(「天命帝鬼神」第八則)を読んだ子安宣邦氏の解説の言葉を引いておきます。

朱子学において帝とは主宰性で見たかぎりの天の別名であり、それは決して祭祀対象としての神格性をもった上帝、天帝概念を構成するものではない。徂徠において天帝は神格的概念である。この概念の構成をめぐっては、以下に詳しく述べられていく。ここでは伏義以下の五帝功績を称える徂徠の言葉に注目したい。ここで五帝の功績を称賛する言葉は、「聖」章における『古えの天子は、聡明叡智の徳ありて、天地の道に通じ、人物の性を尽くし、制作する所あり、(..) 利用厚生の道、ここにおいてか立ちて、万世その徳被らざることなし。』に対応している。ところで万世不滅の「利用厚生の道」の制作による古代聖王の功績を最大級に称賛する徂徠の言葉は、万世不滅の「人倫日用の道」を教えによって聖人孔子を称賛する仁斎の言葉に対応する。『中庸』が聖人を称賛する言葉、すなわち「是をもって声名は中国に洋いつし、施きて蛮ぱくに及ぶ。船車の及ぶところ、霜露の墜つるところ、凡そ血気あるものは、尊親せざるをことなし。故に天に配すという」という言葉は、仁斎においては人倫の教えを立てる孔子称賛の言葉(「童子問」下)の言葉となり、徂徠においては利用厚生の道を制作した古代聖王を称賛する言葉となる。万世不易の道をめぐる二種類の言説があるのである」

だいぶ長くなってしまいますが、最後に書き留めておこうとおもうのは、徂徠の古代における祭政一致の読みは、近代天皇制国家のブルー・プリントですが、、近世の徂徠は近代の民族主義者でもナショナリストでも国家主義者でもありえなかった点を注意したいことです。繰り返しますが、徂徠は人間社会全体への視点をもった江戸思想の知識人の先行形態でした。(武士が儒者から知識人になるのは18世紀からとされます)。今日のマルクス主義者のマルクスの正しさにこだわるようなそんな朱子学的正しさにこだわるのではないのですね。民が安心できるという政治のあり方の視点、また経世斉民の視点も荻生徂徠にありました。今日徂徠が生きていたらアベノミックスにたいしてなにを言うだろうか?今日の東アジアの民族主義に絡みとられた歴史修正主義のリーダーたちの国家主義的言説ー安倍が原因をつくったーを巻き返していくために必要とされるのが、徂徠的な人類全体の視点をもった平和主義の理念的構成でしょう

 

 

B

「礼」といえば、ヘーゲルの客観精神

とはいえ、ここに止まって満足してたまるか、です。荻生徂徠を読むことによって東アジアにおけるその概念の豊かな展開を追うことができます。徂徠は言います。「然れども先王の教えは礼なるのみ。今、先王の礼に遵わずして、言語を以ってその理を明らかにせんと欲すれば、すなわち君子すら尚能わず」(「弁名」)。徂徠を読んだ子安宣邦氏の解説を読むとこうあります。抜粋しますと、「まず超越的なもの、天、鬼神は人間に内部化されない。それは外部的な超越性をもった存在である。この超越的なものを人間とその世界に媒介するのが聖人である。(...)超越的なものを人間とその世界に媒介することを通じて、人間の政治的、文化的世界を形成していったのが先王の道の教え、すなわち読書礼楽の教えである。。ここでは先王の道は端的に礼だといわれ、また先王の鬼神の教えだといわれる。」(「徂徠学講義」、岩波書店)。つまり勉強途上の私の理解では、ここでは理念性の構成のことがいわれています。ここフェイスブックの掲示板で、共同体が拠る鬼神の理念の発明という荻生徂徠においてすでに言われたことを、現代の映画の言説を利用することによってわざわざ繰り返しているのは、どうしてかというと、それは、江戸思想においてなされた理念的構成の外部的意義を強調したいからです。わたしは江戸思想をもとうとしています。今日の東アジアの普遍主義理念なき民族主義的憎悪ゲームを終えるために、(鬼神すらも理念的に発明していく)理念的構成の意義ー民族主義なき普遍主義の多元性ーを強調し過ぎることはないと思いますからね。

 

C

1、「パレスチナ政治映画の時代」を終えて、八十年代のゴダールは、「天と地の間」、「記憶の時代」という探求の時代を生きることになります。「映画」という「道」の「制作者」を、「作家」として、まるで「先王の教えは礼なるのみ」(「弁名」)という調子で祖述することになります。超越的なもの、天、鬼神(死者の作家達)は人間に内部化されません。この超越的なものを人間とその世界(地)に媒介するのが、ほかならない、ゴダールです。グリフィス、エイゼンシュテインロッセリーニ、ホークス、ヒチコック、ブレッソン、トリフォー、デユラス...「作者」(「聖人」)の「道」をたたえること。何も変えるな、すべてを変えるために。
2、と、もう一つ言っておきたいことといえば、1990年代のビデオ「映画史」として結実したその構想は、70年代後半の講義に遡るのですけれど、その構想はアメリカにもヨーロッパにも属さないモントリオールによってしか可能ではなかったというのが私の考えです。アメリカのどこかの都市またはヨーロッパの都市で、ハリウッド映画とヨーロッパ映画を語る外部的視点を「映画史」に保つことは不可能だったと思われます。

 
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