八十年代のゴダールは、「天と地の間」、「記憶の時代」という探求の時代を生きることになります。「映画」という「道」の「制作者」を、「作家」として、まるで「先王の教えは礼なるのみ」(「弁名」)という調子で祖述することになります

1、「パレスチナ政治映画の時代」を終えて、八十年代のゴダールは、「天と地の間」、「記憶の時代」という探求の時代を生きることになります。「映画」という「道」の「制作者」を、「作家」として、まるで「先王の教えは礼なるのみ」(「弁名」)という調子で祖述することになります。超越的なもの、天、鬼神(死者の作家達)は人間に内部化されません。この超越的なものを人間とその世界(地)に媒介するのが、ほかならない、ゴダールです。グリフィス、エイゼンシュテインロッセリーニ、ホークス、ヒチコック、ブレッソン、トリフォー、デユラス...「作者」(「聖人」)の「道」をたたえること。何も変えるな、すべてを変えるために。
2、と、もう一つ言っておきたいことといえば、1990年代のビデオ「映画史」として結実したその構想は、70年代後半の講義に遡るのですけれど、その構想はアメリカにもヨーロッパにも属さないモントリオールによってしか可能ではなかったというのが私の考えです。アメリカのどこかの都市またはヨーロッパの都市で、ハリウッド映画とヨーロッパ映画を語る外部的視点を「映画史」に保つことは不可能だったと思われます。

 
 
本多 敬さんの写真
 

On deuil
J'étais déjà en deuil de ,moi-même, mon propre et unique compagnon, et je me doutais que l'âme avant trébuché sur le corps et qu'elle était repartie en oubliant de lui tendre la main.