ベートベンとはだれだったのか?

BBCラジオが企画したベートベン特集。わたしたちが聞いているべートヴェンの作品は本当の一部分でしかないことを思い知らされた特集でした。べートヴェンの音楽は広く18世紀ヨーロッパ音楽の集大成という性格のもので、一度も演奏されていない数多くの曲もスタジオで初演奏したという1000曲を、二週間かけて録画しました。現在この五十数本のテープを再生できない状態ですが、CD変換家庭用録音機が売り出されるとのこと。さてベートーベンの音楽は、道徳性の、これがなければやっていけなくなるというかくのごとき要請であることは、(ゴダールのおかげで)タランテイーノ監督ですら感じ取られることですけれど、その中でも弦楽四重奏曲が、ブルジョア的倫理性に満足しないような距離、断絶、裂け目の系列をなすことは、アドルノが言いたかったようですね。啓蒙主義の時代において、道徳性の要請のあと、欲望はすることがなくなってしまいますが、これは、欲望はどこにおいて自己を新しく構成するのかという問いの始まりを意味しました。恐らくは、突き動かされて<他>と一体になりたいという信の領域において、だとおもいます。だがもしその信の領域を再び、自己の側から距離がなく断絶も裂け目もないような表象の秩序によって表現するとしたら、破綻した企てと言わざるを得ません。それにも関わらず、あえてそれを行う芸術は、手段として自らを形づくる素材的表現を軽蔑するかあるいは無関心な態度をとるか。ヘーゲルヘルダーリンの近代を見抜いていましたが、ここにべートヴェンの近代のことが言い尽くされていたとは思えません。かれの孤独な力は、全体性に対する<不協和音>的ノイズを呼び出すとき、ほかからではなく、ただそこから、思考の形式であるアートの穴だらけの意味を開くのではあるまいかなどと考えています。べートベンは18世紀の名だったのかしら?「カルメンという名の女」の映像が目の前に現れたり消えたりで、純粋に音楽だけをきいているというわけにはいかないようです!

 
本多 敬さんの写真