「英語という選択」は本当にそれほど「選択」だったのか?

「英語という選択」は本当にそれほど「選択」だったのか?起源としての言語(母国語)を”奪われた”、と、言ってしまうといかにも対英闘争の国家とエスタブリッシュメントナショナリズムには都合がいい見方ですよね。この点は私は文学者のジョイスにしたがいますから、19世紀のアイルランドの生活者たちはゲール語をすてたという事実をみます。だが、すてただけなのに、「英語という選択」とはっきり言ってしまうと、それは中立的で実証的な観察にみえて、だがその背後に民衆史的な対抗イデオロギーが働いていないだろうかと考えちゃうんですよね。これに関してはこれがすべて。これ以上のことを言うのは余計なことなのでやめておきます。ところでこれに関連して、死滅した言語とともに、過去の記憶はどんなことをしても回復できないというテ―マがありますね。おそくとも80年代から現代アイルランド演劇が取り組むようになったテーマですが、前は、言語の限界のことを考えていましたが、現在は、思いだすこと自体の限界のことをかんがえています。プルーストの影響かもしれませんが、忘却に、そして思い出すことに、人間を人間として成り立たせる本質があるというか。演劇の方は、共同体の記憶をあつかいます。1989年のブライアン・フリールの芝居の名は、大変気になるものでした。直訳すると、「歴史をつくること」ですが、三神さんは、「歴史を書くこと」と訳されました。われわれの未来、演劇の未来は、アイルランドの内部の経験とおなじくらい重要な意味をもつ外部の経験から、白紙の歴史を書く、というそんな意味内容で私は理解しています。Dublin Theatre Festival suggests Irish drama's future lies as much outside the national theatre as within it (Fintan O'Toole, 2004, The Irish Times)

本多 敬さんの写真