英国なきEUの英語とは一体なにか? - イギリスがもっていた彼らのヨーロッパ大陸におけるその驚異的な言語的特権を捨ててしまった選択に驚くのだけれどね

英国なきEUの英語とは一体なにか?

21世紀は、GoogleFacebook、Yahoo、Twitterというインターネットの巨大な影響力に包摂されてしまった時代。翻訳によって隠蔽されているが、どうしても最低限度の所でその痕跡をみてしまうことになる英語に規定されたシステムのなかで、どんな国の人々もパソコンをまえに、アメリカ人が諸外国をただの彼らの地方の配置とみるような見方でみることになっていくというような時代?想像してみよう。共通言語は本当にそれほど共通かどうかという疑問は別として、〈帝国〉アメリカは共通言語の英語を使い、〈帝国〉中国は共通言語の中国語を使い、〈帝国〉ロシアは共通言語のロシア語を使うのであるが、それにたいして、〈帝国〉EUの共通言語だけは、地域的にその外部からもたらされた異質な言語を使うのだとしたら。その異質な言語は、ほかならない、英語である。英国なきEUの英語とは一体なにか?EUのあなたたちはランス語かドイツ語に依ることができない。英語をのぞいた、すなわち《EUの公式言語、26マイナス1》のどの言語に依ることも事実上不可能。あなたたちに属していない言葉で自分達自身について語らなければならないとしたらそれでもなおあなたたち自身を表現できるものなのか?You are not yourself ?なにか英語は、外から輸入してきた理念物のようにみえる。既存のものを受け入れてもそれは完全な自立的なものになるのか?理念としての英語はいつまでも完成しないのではあるまいか?そしてあらためて、イギリスがもっていた彼らのヨーロッパ大陸におけるその驚異的な言語的特権を捨ててしまった選択に驚くのだけれどね、呆れるというか...それにしても英語に関して思うことは、たしか記憶によると、アイルランドは(大多数が使うことができない)ゲール語だけを公式言語として発表していて、英語を公式言語とはいわない。英語がなければ根本から成り立たなくなっているのが現実なのに、その英語を公式言語として隠している国だらけで、多分EUの公式言語から英語が削除されるかもしれない。しかし世界に拡散しているこの英語の隠蔽がどういう意味をもつのかとかんがえている。