「フィネガンズ・ウエイク」を称える

 

「フィネガンズ・ウエイク」を称える

「フィネガンズ・ウエイク」のジョイスがたたえるHere comes everybodyとは何であったのか?おそらくそれは、すべての人の同一性・平等性をいう理念への称賛を意味していた。この「フィネガンズ・ウエイク」はたとえカオスの極みである終わりなき分裂生成の宇宙劇場にみえても、意味されているものと意味しているものとの関係が溶解し尽くすということは起きない。テクストのどこにも(anywhere)、「二項対立的」内戦から隠遁したヨーロッパー内ー亡命者(アイリッシュ版の世界ー内ー存在)の怒りが書き込まれていることを見て取れるだろう。このときテクストは国家ではなく地域となる。戦争から逃げるジョイスを戦争が追跡した。三〇年代のファシズム前夜に「フィネガンズ・ウエイク」を出すが、転々と移動した作者がどこでそれを完成させたのかは国家中心の近代文学史では特定できない。大衆社会の独裁者との一体化では、一人の男性に対する生命、財産、魂の贈与には限度がなくなるが、それは人類の同一性・平等性を意味するものではない。ファシズムを避けるために、代表されてもかまわないが、そこで亡命者が人間らしく個性的な存在のあり方を尊重される場所が取り上げられてはならない。安倍政権のもとで急にこの場所が奪われることになってきたこと、それが本当に嫌だね

 

 
本多 敬さんの写真