ネットワークとはなにか?

ネットワークとはなにか?

ネットワークというものを作品化するとどういうことになるでしょうか、大変関心があります。お互いにそれぞれの内部に向かって孤立したネットワーク(系列)がせっかくそれぞれの穴倉から飛び出して外部において出会ったにもかかわらず....再び一つの孤立したネットワーク(系列)に包摂されるようになったのではダメでしょう。なにかこの作品は、人物と木と枝にふっかっけてあるロープというベケットの芝居みたいですが、これは1960年代のものです。わたしが思うのは、遅くとも90年代には、サィードはこんな風に彼が依拠していた六十年代のフーコ・デリダの限界ーカントについて何百ページも語られているのに市民という言葉が一言も出てこないことの限界ーをみたのではなかったでしょうか。そして現在の問題は、後期資本主義において人びとは<国家>と<民族>の枠組みに依拠できなくなり、グローバルデモクラシーの<市民>のほかに行くところがないがこの不可欠な新しい経験を自分たちのものにしようと考えるようになったにもかかわらず、なお原発体制みたいに破綻しつくしたものをふたたび一生懸命再び作ろうとしている観念にとらわれているようにみえること。たとえば東アジアの知識人の中には市民たちがそれぞれの国家と民族の枠組みから出たのに再び世界帝国を築くことの意義をいう者がいます。グローバル時代の<帝国>はもちろん帝国主義のことではないのだが、国家でもなければ帝国主義でもないというような新しい意味を持つというのですが、それは全体主義のノスタルジーと言わざるを得ないような内部化ではないでしょうか。

 

 
本多 敬さんの写真