思想史はいかに西田幾多郎を位置づけるか? - 同一性の基底(平等性を規定する方向性)と異質性の基底(人間のそれぞれの個性を尊重した多様性を規定するような方向性)

思想史の自己肖像画

思想史は、同一性の基底(平等性を規定する方向性)と異質性の基底(人間のそれぞれの個性を尊重した多様性を規定するような方向性)から成り立ちます。一応成り立つと考えてみようということで話します。子安氏が行うように1600年に線をひくと、17世紀の思想が、異質性の方向に進んでいった展開をみることができます。つまり近世においては、脱朱子学、脱形而上学から、同一性の思想が弱まるが、その代償として、理念性の発見と経験的多様性へと行くのです。全体としては同一性の思想は弱く、近代に入ってもそれは弱いままですが、西田幾多郎(「善の研究」から「絶対矛盾的自己同一」)において同一性の思弁的思索の取り組みが存在しました。戦後は、唯一の普遍主義というような植民地主義を反省し克服しようとした、そしてそれとの関連において起きた実存主義構造主義の論争を契機に展開していくような、差異と多様性をいう異質性の方向が重要です。ここで1968年に線を引くことができます。思想は、マルクス主義への反権力的依拠から、テクスト論と脱近代的な言説空間へと移行していくことになりました。更に1990年に線を引く必要性を感じます。思想はグローバル化する後期資本主義の90年代からは、顕著になる格差の問題に取り組む必要が出てきたと考えられるからです。現在思想は平等をいう同一性の方向へ展開していくようにみえます。つまり思想は、再び全体主義に戻ることを拒む市民の経験に依りながら、徐々に、テクストを解釈する言説からマルクス主義的な意味で搾取する権力に対する抵抗の分析へと移行していくことになってきたといえそうです。思想史は自らを書き写すときこのいわば白紙の本に、人類史においてはじめて自覚されるようになった、多様性としての(複数の)普遍主義が自らを、自立していく地域を通じて実現するという、そしてこれが未来にむかって開かれた方向として十分に発展していくという肖像を書くことができるでしょうか

 
本多 敬さんの写真