キェシロフスキのトリコロール/青の愛(1993)の感想文

キェシロフスキのトリコロール/青の愛(1993)を観て、渋谷駅前でアイスコーヒーを飲むナウ。女優の微妙な顔を見事に照らし出す効果的な自然光の使用もあるが、全体としてあまりに照明と効果に時間が従属してしまっているので創造的飛躍がないと感じるときもあった。(ちあみに、暗闇に占拠されたとき覆われる前にそこから逃れる光が力を失って憂鬱な青色に変容していくというのが私の創造的飛躍である。) 演出については、目に見えないなにかに取り憑かれているというのがこの女優のかもし出す存在感だけれど、事故死した作曲家である夫の亡霊だとはっきり彼女のオブセッションが対象化されてしまうと簡単すぎてしまうかも。最期に監督のなかで音楽によって何もかも繋げ過ぎではないかと思うが、この私の感じ方とは逆に、この繋がりに力を感じ取るファンも多いのだろう。しかしこの映画に限らず、思考に属する編集の力を神秘化していいのかと私は常に疑問をもつのだ。九十年代を代表するほどの映画だったかどうかはもう一度みて判断する必要もあるが、数秒間の人見知りする猫が素晴らしかった。観に行く価値あり

 
本多 敬さんの写真