「人間」を書くこと ーオリエンタリズムはいかに君子から人間を発明したか?ただしそこに平等性という市民という開かれた意味をもって発明されることになったのか?

「人間」を書くこと
オリエンタリズムはいかに君子から人間を発明したか?

「子曰く、狂にして直ならず、(とう)にして愿(げん)ならず、悾悾として信ならず。吾れこれを知らず。」(泰伯第八・第16章)

 

仁斎古義によると、狂とは「意高くして検束無き」をいうとし、(とう)を朱子にしたがって「無知の貌」とし、悾悾を「無能の貌」としている。徂徠徴は、孔子は「狂」も「(とう)」も「悾悾」もそれぞれに消極的であるが才としてみなし、しかしそれらが才としてもつ長所を失ってしまったら、もうそれらはただ見捨てられる才にすぎないと解すようだ。この徂徠の解釈を念頭において子安氏はこう訳していると思われる。「狂者の大志をもちながら、正直でないもの、子供のような物知らずでありながら、素直に勉めないもの、愚直でありながら、信の心のないもの、そうした人々を私もどうすることもできない。」(思想史家が読む論語)。

これにたいして、なにか違和感をもつのが紹介されている吉川論語である。「熱狂的な情熱家でありながら、正直でないもの。子供っぽさをもちながら、地道でないもの。馬鹿正直でありながら、あてにならない人間。そうした人間に、私は出あったことがない。」兎に角「人間」と書いておいて、あとは現代の言葉にするだけなのか?何が言いたいの?吉川といえば、フランスでフランス支那学を学んだ中国語も読めたらしい。と、これをフランス語の訳と比べてみたくなった。

 

Le Maître dit :< Une brusquerie dépourvue de franchise, une ignorance dépourvue de prudence, une naîveté dépourvue de bonne foi ー voilà qui passé mom entendement !>.

 

ここでも翻訳は中立的ではありえないというのは、誰かが自分に都合よく翻訳するという言説が隠蔽されているということだ。(われわれは注釈と共に読むのは、原初的テクストは読むことができないということを驚きをもって知るためである。)フランス語の訳で「狂」「(とう)」「悾悾」といわれているのは、いかにも西欧が、情熱的で子供のように掟を守る無知な共同体に向かって語るオリエンタリズムではないか?「遅れた」アジアのために、「すすんだ」植民者が文明をもたらすという責任がある。このことが「人間homme」という名において語られるのである。京都学派(貝塚、桑原、吉川など)に、フランス支那学は大きな影響をもっていた。そのフランス支那学は大日本帝国によって近代の東アジアの知として確立する時期があったといわれる。こういう意味で、近代とは、ヨーロッパの理念的「学」からアジアが読み解かれていく解読の権力なのだ。そうしてここから、西においてはいつもいつもわれわれはなぜオリジナルなのかというコンプレックスがあり、逆の方向から、東ではわれわれはなぜコピーでしかないのかという日本会議の<美しい日本>にいわれるようなコンプレックスが相補的にある。だがわれわれが本当に問いたいことはこれしかない。「いつこれらが終わるのか?」。「人間」を書くことーオリエンタリズムはいかに君子から人間を発明したか?ただしそこに平等性という市民という開かれた意味をもって発明されることになったのか?このことも思想史の自己肖像画においてしっかりと書かれるべきである。