No.1 渋沢栄一とはだれだったのか ー天保の改革のときに生まれた儒者の知識人としてのあり方

No.1 渋沢栄一とはだれだったのか
天保の改革のときに生まれた儒者の知識人としてのあり方

中体西用論は、「中国の伝統的な文化、制度、倫理道徳を根本(つまり「体」に)して、西洋の科学技術を利用(つまり、「用」すべし)」という意味。朝鮮の儒者両班)を政治をもつ。政治から、中国の儒者たちが近代化を担ったように、近代化に取り組んだという。それにたいして、徳川日本の儒者たちは道徳の領域に行く。儒者たちは自らを政治にかかわるべきだと考えたか?東アジアの儒者たちがいかに近代化に取り組んだのかという差異を考えるためには、まだ勉強中であるが、「論語」を読み解く渋沢栄一の言葉をその時代感覚とともに読むと、東洋のアダム・スミスなどと決めつけてしまうと、1840年という教育がピークだった天保の改革のときに生まれた儒者の知識人としてのあり方を見失うような気がする。