「言葉と物」のコンパクトな世界 No.2

 

問題は、人間を排除する王の場所にあった。不動点のような王の場所があるとき、人間が再び、自らを排除したその王の場所をとることは、倫理的に許されないし不可能なことだろう。それでは、見られる多から見る一へ移行しただけで、構造としては何の変化も起きなかったということだ。そして人間はこの一の場所からは、一しかみえない。多がみえる保証もない。恐らく他を見ることができないだろう。仮に、一である自己を含めた多をみることができたとしても、そこに外部性をともわなければ意味がないのである。ヴェラスケスはそういう外部性に立つ人物の内部を見る姿をさりげなく描いていた。なんという悍ましい光景。顔をゆがめているー再び、排他的<一>に過ぎないような、世界帝国的な<一>的多に対して

 

 
本多 敬さんの写真